レファレンス

『はじめてのレコード』が

あっちの図書館にあるじゃねえの

ラッキー

明日かりにいこうっと

(メモる)

 

なんでもさがせばあるもんだねえ

 

おもえば人間のマン・マシーンたるその機能の展開は

おそろしくランダム性とでたらめさがあって

それが人間のいいところでありわるいところであるが

その記憶の

まだら

ランダム

とつぜん離れた場所のことを

遠い過去のことを思い出す機能にたけており

 

とくに過去の扱い方は人間っておかしいわけで

 

あとランク付けをしているのでこの時期のことは最高に

覚えている(いい記憶だから)

この時期のことはさっぱり記憶から出してこなかったので

アクセスが難しくなっている(おもいだせん)とか

 

あとは番人がいて門をまもっておりこの記憶はキケンですとかね

 

それこそ本当にオレはたとえば

小道具時代とかそのあとちょっととか

いったい西荻をうろうろして人のアパートで

酒のんで何をしゃべっていたが何を?

しゃべって?話題は?どんな?ことを?

 

とかさぐっても記憶からもう出てこないのれす

 

しょうがない

 

でもまあ過去のことも未来のこともあまりしゃべっていなかった

たぶんその「近々」のことしかしゃべっていなかったね

 

わかることは

当時のオレ(20代)は

本当に「輝かしい未来」とかを考えることがなくて

それは考えたい考えたくないの以前の問題で

「現在」しかなくて

べつにいま何も「未来」に向けて勉強も投資もしてないから

ないのは

未来が見えてないからであり

見たくない

というのとはまたちょっと別で

いまの現在の生がすごく

面白いか

面白かったよ

現在の現在性はすごく強かったとわかってたと思う

からこそモ娘。活動(応援)に熱心なあまりに熱心だったと思うし

それはそこのそれがすべてだったわけで

その当時は「街を歩く」とかぜんぜん興味なかったわけでね

 

つまり視野が狭いといえばその通りだがそれしか考えていないという意味で

強度すごく高いわけです

 

だからエネルギーをそこに集中できたわけで

好きエネルギーですけど

だから飛行機のりまくりの遠征いきまくりだったわけでね

当時は酒を飲んでもそんなに酒への依存などはなく

あたりまえだもっと面白いことがあったわけだからね

そしてそれは応援好きエネルギーがどこにもつながらないとしても

そんなことをそもそも考えなかったし

 

本当に未来がなにも未来ってことばさえもどうでもよかったんだなあ

と思うのであった

 

そのあとふと世間的な「未来たいへんだ」的予想が

訪れるのだがそこからの展開も

思えば「これはたいへんだ」みたいな「苦労」が

予想されてもいいものを

オレはまったくその「苦労」を予想しないで進んで

いったのでそれはちょっと変な人だともいえる

たとえば専門学校での勉強とか実習とか大変だ

どのような大変なのか

みたいな予想ですね

 

まあ予想すると怖気づくのかもしれないが

ありがたいことにそこは何も予想しなかった

そして勉強は生来べんきょうがすきという資質が役に立ったので試験の

べんきょうはできる

しかし実習は不合格寸前までの危機に至るのであった

 

そこはオレの生来の弱点であってつまり「コミュニケーションは

嫌いである」という

嫌いな他人には関わらないに決まってます

であるが

それしてると実習は通らないのよね~~ということで

そのあと専門学校の教師とはコミュニケーションよくとれたので

そこはいいんだけど(補修疲れました)

 

そのへんは生来と言う言葉で片付けましたが本当は生来ではなく

オレが好んでそれを身につけてきた鎧であってそれによって

オレは鈍感さを発揮して生きているわけである

 

鈍感さの御陰で精神はダウンしないでやっていられる

助かる

そういうことを考えたね

 

さあレコードのことを考えよう(1980年代のLPを発掘してクリーニングしよう)

 

発掘しなくてはいけないものが多くて大変です

ラジカセもまだ出てきてないんだからん