映画「それでも私は生きていく」について

鳥取県東伯郡湯梨浜町jig theater にて鑑賞

 

オレはここで映画みるの2回目ですがここいいんですよ

映画体験としてとてもいい

廃校なった小学校の3階で

教室で

 

段をつくるのに木製のなにかで構造物で

文化祭みたいだよね

そこにすわるソファはその木にマットレスのせただけのね

とてもいい

集中してみられる(かためだし)

 

スクリーンが近いぶん

視界はほぼスクリーンだし角度としてどの席でも真ん前です

 

さて

 

映画である

 

レア・セドゥである

オレにとっては「フレンチ・ディスパッチ」におけるヌードモデルをする女看守である

エキセントリック

しかしここではふつうの女性である(とパンフレットのインタビューでも「やっと普通の女性を」と書いてあった)

 

比較

こないだみた「すべてうまくいきますように」(フランソワ・オゾン監督)と

どうしても比較してしまう

あれも結構な年齢となった女性とその父が老いて看護介護の必要がある話しだった

まああっちは「安楽死」なんだけど

病院介護施設を転々とするのは同じである

 

女性監督と男性監督で違うのかしら?

それは知らないでみていてどうかという問題

 

こっちは「ベルイマン島にて」のラヴ監督である

ミア・ハンセン=ラブ監督である

 

ベルイマン島にてを見逃しているのが悔やまれる・・・どっかで再上映

してくんないかなあ

 

まあしつこく探していればいつかどっかで出会えるでしょう

 

さて映画の中身なんですけど

 

「シングルマザー」

「仕事あり(翻訳とか同時通訳)」

「父の介護」

「母は離婚しているが娘と母としての付き合いある」

「父には新しい恋人がいる」

「祖母(監督の祖母だって!)もいます たまに娘をつれて会わせにいく」

「知り合いだった男と恋仲になった」

「はげしいセックス」「しかし男はもともと既婚者で子供(男児)もいる」

「家庭に戻る男」「ふたたび主人公のところにもどってくる男」「よくわからん」

こういう感じであるが

最終しーんは男と主人公と娘の三人でパリのまちをみおろす丘からの

気持ちのいいショット

 

いいところ

不倫ではあるがそのことに文句を言う人間が誰もいない

同時に結局それは「個人の決断」だけなので

男はそのつど家庭が捨てられないとか君が好きだとかいろいろそのときの

真実を言っている(べつにだましてどうこうというわけではなくその

瞬間瞬間の本音を言っているようにみえる)

だから別に「うそつき!」といって責めるシーンもないのである

やきもきはするけどね

 

レア・セドゥの美しいヌード

(一部モザイクあり)

やれやれ

 

さて

 

しかしお話しとしては父が一人暮らしからだんだん

独居不可能になって書籍を処分したり(父は哲学教師という設定)

病院を転々としたり

介護施設に入居したり

父は目がみえない

しかし書いたノートがみつかる

あと祖母とかも「生きていくのはしんどいね」とかいう

娘は幼くてフェンシングとか習ったり小学校いったり

 

フランスの小学校ってそれこそ二次大戦直後の白黒フランス映画のころ

の感じとちっとも変ってないね!変化なし!

そういうもんだってことかしら

 

日本の小学校だって実際そうだけどねなにもかわってない

 

ともかく

 

なんだろうね愛がテーマのような気はするがそこには

いろんな愛があるというか

父への母への娘への

そしてセックスをともにする男への

なんちゅうかフランス人はセックスをちゃんと重要視するというか

それは要であるみたいな思想というか

だから不可分である(愛とセックスが)というのを当然と見做しているということ

あとは他人の生き方(娘であっても)に口を出さないというか

そこが徹底しているのは気分がいい

 

まあ介護の医療のワーカーとのやりとりは万国共通というか

娘である主人公が父のトイレ介助が「できない」というと

黒人のワーカーの女性が「できるのにもったいない」というのである

それをどういう意味あいととらえるかですけどね

いろいろあっていいと思うけどね

 

娘ちゃんが子役だけどすごくいい子役で

いつも思うがいい子役は本当にいい

かがやいている

 

レア・セドゥが次にどういう映画に出るのかは

楽しみであるが

なんじゃろうねえ

とりま

まだみてない「グランドブダペストホテル」も

みないといかんのよ

いろいろある