他人に期待しないではなく他人に期待しすぎないs

所詮他人なき世界に住むことはできない(他人は存在するし人間は社会でしか生きられない)

のだが

他人には一切期待しない!というのになるとかえってやりにくいだろ

だってぜんぶ自分だけでやるって言ってるのと同じで

ちょっと他人が「協力的」だったりした日にゃ

あれ

嬉しい!みたいな

拗ねてる顔と正反対のリアクションが生まれてきたら本人も気まずいだろ

 

0-100じゃないんだよということで

期待は

「こうしてくれたら助かる」くらいでよければそれでいいし

「こうしてくれないと困る!」のであれば本当に困ることになるだろう

 

他人は勝手だというのは他人は他人の意志でうごいていて

オレの意思は他人の行動に反映されないというただそれだけのことであって

それって他人だからこそあたりまえじゃんねえ個別に別々なんだからさ

 

それがわかんねえと他人に対して怒るそしてがっかりするという

感情の振れ幅と

他人への攻撃のこころが沸いてくるからそういうのがやっかいな人間で

そのくらいのくだらない構造から深刻なトラブルが社会のそこかしこで

いつも発生しているのではなかろうか

あまりにもくだらない理由で

 

行政がそのミステイクをまちがった行政判断とその施行の結果としてまちがった事態をひきおこしたときに「判断は正しかった」とか自分で言うやつはぜんぶまちがいだったけどそれ認めるのは感情が許さないのでつっぱねていきますと言っているのと同じことでいい大人がみっともないわねなぜそれを認められないの??っていうことであってバカじゃん

ということばかりしているから日本の政治の機能が世界最低レベルだって

いわれる

わけ

ですわ

 

ひどい

 

というか人間はそのくらいの低いものなのだという前提でやってったほうが

はるかにマシな世界をつくることができるのではないか

まちがったことをみつける能力が

せめて

すこしはあります

ってくらいにならないと

そのまま死んだら間違ったまましんだ(あるいはころされた)

ことになるわけで

後世さんざん悪しざまにののしられる歴史誕生

 

他人に期待するまえに自分で自分をどうにかしろっていう

配慮