他人の心と行動の動機

まあそれでオレが目にした他人の行動とその動機についてのことである

まあ

個別具体的名称を描かなければ秘密の漏洩にもあたらんだろうたぶん

 

えっとまあそれで愚痴ですよ

人間は愚痴をどのように口にするのか

 

オレは日記に書きますし書きまくりますし他人に直で対面で

向かっていうことなどいまは 全くないですね(そもそもそういう

関係性の他人がここには誰もいないNobody)

 

しかしそのオレが目にしたケースでは

いわゆる職務上の責任者が

愚痴を音声言語で他人に向かって

独り言の呈をとって語るわけですよ袋小路の現状と

厳しい外部環境と体調の悪化とね

そんなん愚痴ったところでなにも変わらないじゃないですかあ

ただ発言しているだけですからね

 

しかし人間の「人間らしい」行動として愚痴というのは人間性にあふれたもの

とされている

愚痴は「そうしようと思わなくても意図せず発する言葉音声」とも

される

ともされる

灯される(違う)

 

そしてそれを他人に向かって言うことそのものが本人にとっての

「現状分析効果」とか「気休め効果」

気休めは効果なのか?

とされる

 

ただ問題は愚痴をきく相手がまた人間だってことで

リアル人間です(AIではありません)

 

まあいいんですけど

 

つまり愚痴を言うほうには「言う動機がある」ということですわ

 

なんでもそうですが吐き出すことは必要ですよねオレだってこのように

はてなで日記を書きまくるのは吐き出すためですよ

いま読んでいる『布団の中から蜂起せよ』も

書きまくる人の本です

 

方法が書く人と話しまくる人といろいろ手段があるってだけで

 

しかし愚痴をきいてしまったからには聴く前とはもうちがう時空間に

はいってしまったのわけですよ

 

はははは

 

まあなんといいますか人間は極度のストレスには耐えられないわけですよ

自殺とかしますし

鬱を発症したりしますし

こわいものです

 

愚痴とかものにあたるとか大声を出すとかは本人にとっては安全弁

なのですが問題はその揚程が人によって違うというところでして

 

揚程ってのは比喩として一般用語ではないのでわかりにくい

 

解説が必要ですがまあしらん人はググるといいです

ボイラーとかの資格の勉強すると安全弁のところで出てきます

 

 

まあそのように感情というのは「一人だけで自分だけで処理できる部分には

限界がある」というわけで

 

それが人間の心の限界というか人間が「社会的な動物」であるところのものであって

個別に感情をそれぞれ自己管理完結していればいいのだが

そうはいかんざき(公明党神崎氏)

 

感情も他人をまきこむし

愛情も殺意も他人をまきこみますね

 

ぜんぶそうだわ

 

めんどくさい動物だ人間

 

オレは人類学をいまその本を読んでいるが

大きい単位だったり小さい個人の単位だったり

人類はいろんな見方で分析されたり分析したらいかんといわれたり

している

 

だいたいグレーバー(もう死んだ)が

基本的にはアナキストであるということ

アナーキスト人類学のための断章』2006

 

他人にも心がある

他人とは「協力」したいときにはするし

「協力」したくないときにはしない

別に義務を負っていないし互いに助け合う誓いをしたわけでもない

会社組織などは糞のかたまりであってなにが上司部下だ

アホか

というのはオレのアナーキズムである

まあ金をもらう契約で仕事内容を決めたわけだが

 

愚痴を部下にむかって言うことは仕事内容に入ってないよ傾聴

まあオレは傾聴などしてないけどね(静観!)

 

ひきつづきこのへんを考えるつづく