ついったに依存したりとかする人間2

他人のこと他人のつぶやきが見たい見たい知りたい見たい

と思っているのか?

 

そんなに他人が好きか?

 

とか思うところだがそれは問の立て方が違う(正確ではない)のであって

 

正しくはおそらく

「他人の様子がうかがい知られるところの場所・場・に

有用性を感じている」

ということではないかと思うわけですね

 

つまり

好き・嫌いとはまた別に

有用だと思うので「トク」・無用だとおもうので「ソン」

という利得損益換算感情もあり

この2種類の感情が混ざり合ったところにうまれたのがSNSついったー

じゃないかなと思うのであった

 

そのくらいが正しいのではないか

 

だいたい「人間が好きなんです」

とか言うやつが信用できるわけもなく

「人間が好きなわけないだろうバカが」とオレは思うのである

 

言葉が少なすぎるのであって人間のどの部分が好きなのか言えという話しである

 

人間の「他人を思いやるこころが存在するところ」とか

「自分のことを語りたがるこころ」とか

「他人の話しに耳を傾けることが可能である態度」とか

どの部分が好きなのか言えって話しだ

 

言えないならおまえは「何も考えていない」のだ

 

ついったについてはオレの考えは上に書いた「2種類の感情の混ざった

ところでスキ・お得のほどほどにプラスなところにツイッタが存在する」

のだと思いますよ

 

自分はいま「得」なことをしている

と自己認識(メタ認知)すること

そのものが

快感のほうの「快」にあたるのであろう

そのとき脳は報酬系神経科学因子を発露(じわりじわり)

するので脳は「もっとこれをしようぜ!」と言うのである

脳なんか「しようぜ」「やめようぜ」の2つしかないんだから

 

そうでもないだろ

 

ついったはTLという「自分でつくりあげるオリジナル光景(自分がフォローしたものだけを読むことができる)」こそが

キモだったのに

ついった社が「おすすめ」などというバカなものをつくったので

非難轟轟である

まあしかしそもそもが

フォローしたものだけを読むのがそもそものついったなわけで

いったい最初のフォロー・フォロワーをどうやってつくるの?

というのが最初のソレだったわけよね

 

まあそんなのいまはどうでもいいや