よる

まあいろいろあるよねえ~~

 

1日に一日だけ会った(そして話がはずんだ)Sさんが

なんかこういろいろあって

そのあおりでオレが5月もひきつづき研修先で研修を継続することに

なりそうである

またすぐかわったりしてね

 

はぁ=~いろいろあるさ

 

帰りにモールのスーパーで

ここは買い物おわってそのあと「現金で!」とか申告しないと

いけないのね

「カードで!」「ペイペイで!」「お米券で!」

お米券はもうあかんだろう

 

そこでおかずとパン(明日の昼)を買ったので

調子がいい

その足でスタバにいってくつろいで読書してからかえる

1800台のスタバは高校生だらけだったわ

うるせえのなんのって

楽しそうだね高校生たちは

 

ちくま新書の心理学のほうの先生のかいた「感情」についての

本を読んでいたが

発達障害の精神科のほうからの専門の岩波先生の解釈とぜんぜんちがう

のな

オレがわからんのはやっぱり用語であって

広汎なものを1つの用語にとじこめるからいかんのだと思う

先天的な脳の障害

を持ち出すといろいろ不都合(親の気持ちとか)が

あるとは思うがそれは真実性どっちなのかどっちでもいいと思うの

だって診断は「症状」でしかあらわしえない

^-と岩波先生は言っている(Mちだ先生のマンガで)

 

脳画像診断で発達障害を判定できるというのは

間違い

 

間違い説にオレは加担したいんだけど

加担っておかしいよね

 

まあいいや

 

ともかく診断するのは医者だ

オレではない

 

しかしスペクトラムだという「考え方」

 

自閉症スペクトラムとして「一連の幅のなかのもの」を指定すると

人間全員がそのスペクトラムに含まれるとオレは思うんだよ

 

そのほうがいいんじゃないかと思うんだけどね

 

オレは正常ですなんて口に出して他人に向かって言えるなんて

そんなやつが正常なわけないじゃないですかあ

 

ネコに心があるというのなら人間以外のすべての動物が

心があるに決まっており植物だってボルボックスだって心があるに

決まってるわけじゃないですかあ

 

その意味でオレは猫には「心」はないと思うわけです

ないからボルボックスにも心はない

 

人間が思っている人間の「心」とは別のものがあると

考えたほうがいいと思うんですね

 

あと使途パウロはイエスを観たというがそれはあきらかに

「幻覚」でありイエスの復活とかの霊的現象ではありません

という解釈でいったほうがいいと思うのです

そっちがマトモでしょう

 

ってことよ

 

だからネコに心はない

 

用語の問題です

 

いやさマジで用語つまり言語の問題は思考のベースである

ばかりではなく

思考することそのものさえも不可能にするようなことが言語によって

左右されているわけである

 

年々ますます言語と価値がすべての根底にあるのではと