6月22日(木)

さて昨日のつづきである

 

なんとかマシにもうちょっとマシになりたいという

その気分はたぶんもうちょっと若いやつが「まだ固まってない」

からこそそこでさてどうする

みたいな葛藤

 

のことだと思うのだがそうではなくて

別にそれを何歳の人がそうしてもべつにいいと思うのである

 

年齢がそれを決めるとかおかしいじゃんね

 

統計的に多くの人がそれを若いときにしているような

イメージ

があるだけのことで

それは数が多ければ正解だとはならないのである

 

だからオレは死ぬまでそのようにジタバタしていこうと思うのだが

それはそうすれば死ぬまで安定することがなく

死ぬまで「もうやることがない」というハメにおちこむことはなくなる

かもしれないという期待のもとに

 

そうしている

 

日記(これ)などは100%自分で自分に向けて語りかけているだけのことで

こんなもんである

自分を安心させるとか

自分に方向を示すとか

とりまこの方針でやっていこうここ1年くらいはとか

そういうもので

 

1年ならいいけど10年となるとなぜそういう方針を立てたくない

(そんなことはしたくない)

のかというと

・そんな方針は立てるだけムダであるー結実するわけがない

と思っているフシがある

なぜ結実(達成)しないかというと

・夢見がちな理想がキラキラした方針を立てる傾向がある

というのがひとつあって

それは

「理想が好き」というのがあって

つまり砂上の楼閣であってもなんかきらきらしたビジョンを

考えるのが好きなのでついそうしてしまうそして

それは現実とは遊離しているのでそんなもんかなうわけない

というのがある

 

しかし一方でそういうビジョンを立ててしかも

パワーでそれをかなえてしまう(なんなら他人もまきこむ)

ような人がたまにいてそういう人はテレビでNHKが好きなドキュメンタリー

にまとめられてとりあげられたりするわけで

あるいはNHKはオーガニックで素朴でいかにもわたくしは恋愛とかしないので

みたいな精錬潔白純粋イメージの女性が自然の中で自然なくらしで自然なものづくり

をしているドキュメンタリーをよくつくっている(イメージ)が

それはその女性がつくったものとかしている暮らしにファンがついて

いて

プロダクツを買ったり教室で生徒になったり

そういういわゆる「ジャルジャル方式サロン」が金銭収拾のツールとして

機能しているようになっている(グッズが売れている)から生活ができていて

それで成り立っているようにも見える(想像している)

 

男性でそういうのしているのあまりオレは寡聞にして

見たり聴いたりしたことがない

(注・男性で というのは

つまり「女性で”素敵な生き方!ととのったくらし!”を標榜してる人は多いが

男性でオーガニックに精通して素敵ないきかたをしてる清廉素朴な暮らしの整った雰囲気!をうたう人は少ないなあというくらいの意味です)

(たぶん”清廉”とか”潔白””けがれていない”をうたうのは女性じゃないとイメージ構築が難しいのではないかって話し)

 

 

急に話しがかわったなこれ

 

まあもともとは「ビジョンが理想のことのように見えたが

実際それを実現してしまった」ような人が

いる

って話しである

別にそれ自体が偉いのではなくて

それがいいなあと思うならおまえもやってみろって

だけのことである

べつに会社の中でやるも

個人でやるも

関係なくやりたいならそれすれば?ってくらいのもんであるし

失敗したところで他人がそれを何をいおうと別に大した問題ではなく

生保になるならなるで別にそれもいいんじゃないかと

思われるしならないというか行政がだめだというならそれは

飢えて死ぬことになるわけだが

なかなか人間はすんなり飢えて死ぬまでのところでそのまえに

いろいろある()

わけで

 

まあなにをするにせよそれは人間がそれをする以上は

一人でそれをするということであるし

 

一人じゃないとかいいますがそんなことはなく

一人がそれをすると決めたことが一人の中ではじまる

ことには変わりがない

(もしそれを他の人間が「いっしょにしよう」というのであれば

それは他の人間のほうの脳内で「決めた」ことが事象として起きたということで

これもまた一人の人間の脳の中のはじまりが起きたのである

つまりそれぞれが個別に起きていることだけは間違いない)

している様子がたまたま共同でやってるように見えるだけのことである

見えるのと実際は違うのである

たぶんそうだ