ホラー・スラッシャームービー

V.Artadiのようなブロンドのコーカソイドの女性のうた

をきいていて

ああ~~ブロンドだしな~ーーホラー映画でころされるのってだいたい

ブロンド女性だよな^===

とか思ってしまうのが偏見あるいは根拠なき想像イメージ陳腐

 

であるが

 

だからといってホラー映画でじじいがころされていたら

「嗚呼 じじいが死んでいるな・・」だけで

そこには悲しみさえもなく好奇心はなく

まさに無視 関心さえももたれないのが

おそらくは同類のジジイが死んでいる爺をみてさえもそうではないかと

思う次第

どうだろうか

 

これがアフリカンアメリカンの老婆が死んで(あるいは殺人鬼にころされて)

というときに誰が何を思うだろうか?

 

なぜ若いやつが殺されると人間はそこになにか感情が?

若いやつにはこの先があったのにとか思うのか?

 

あるいは殺しをしまくるシリアルキラーの映画が

どんすかいつまでもつくられるのはアンチヒーローというだけではなく

そいつが誰をどのように殺すのか

あるいは「ターゲット」を絞るときに選択の考慮するポイントは何か

(偶然かあるいは必然的な意思があるのか)

 

とか考えちゃうわ

 

パールをみていらいそう思うのである

ミッドサマーのときはそうは思わなかったのにね

ミッドサマーは「集団的」であるのであいつらは集団であることを

かくれみのに個々人は「わるいことしてるわけじゃないんだ」という

自己正当化を行っているので殺人者としてもっとずるい範疇である

そういうのは唾棄すべきだし軽蔑してしかるべきと思っていますねオレは

 

そもそも論理学倫理学美学があるのは「真・善・美」をもって

その目標にしよう!という

人間の勝手な意思があってそれにあわせて学問体系なるものをつくった

やつがいたわけだが

真善美じゃなくてもいいのである

 

そうだろ