横須賀美術館「令和5年度第2期所蔵品展 特集:没後20年 若林奮」

まあなんちゅうかオレが横須賀には何度も行っているにもかかわらず

この屋外展示作品が若林のものだということを知ったのがずいぶん

後になってからだっていうね

鉄に

屋外展示で錆びていく分分とメッキで保護する部分と加減と

 

ところで今回の展示はその「Valleys」について作者本人が手記を

書いたものがあるがこれがまたちいさい字でよみにくいのに5P(6枚)もあって

いやこれは6Pというべきか

まあぜんぶ読んだのだが日本語であるが正直これは

本人はわかるが他人にひろく開かれている文章ではないわけであります

それは当然でかれは別に文書を書く専門家ではなく彫刻家である

 

だから文章はかれ独自の流れを表現するものになる

かれが「病院の廊下」をキーワードとして文章にのせているのだが

それはたしかにその後にValleysにつながっていくとは思うしかし

それがどうしてどのように何がトリガーとなってつながっていくのかは

彼しか分からないわけである

 

消失点がある3次元の光景で両サイドは共通の壁がそびえているもの

であるが

それでかれは地峡のような

たとえばギリシアにおけるコリントス運河の光景とか

そういうのを見てなんかこうそれもまた

かれに強く響いたことだけは間違いないのだが

 

ロジックはそこではあきらかにはされないのである

しかしまあ

多くのドローイングがのこされているのでそれを見るしかないのである

 

あとかれは2003年の秋に没するのであるが

その年のかなり直前までほぼ毎日のようにドローイングかいており

たくさん展示されている

線だけでそれが表現されている

谷(’Valleys)のものもあるし

谷の光景から逸脱してなんだかわからんものになっているものもある

自然

自然はもとよりかれの興味であったんだが

 

あと文章のなかに「風景と自分とのあいだの(距離?)がわからなくなって」

「樹木をみていたのによくみえなくなって」

「それで自分とのあいだに物を配置することとして」となり

それでできたのが造語である造ブツである振動尺なのだが

そういう理屈もよくわからんのである

あとは犬が休む場所をつくっておくみたいな作品とか

犬は例外的に登場するのか??

 

なにしろ多くのかなりがオレには知ってくるたびに謎なのであった

 

そして美しいかどうかとかそういう評価尺度もまた間違っているような

気がするのであるがじゃあ

オレのかんじているたとえば屋外展示のValleysが15年以上たって

反対側は丘になっておりそこにある常緑樹がつよい幹を

立たせている光景とか

鉄が表面がざらざらしていることとかそのフォルムがほとんどまったく変わらない

こととか(鉄だからあたりまえというわけにはいかない)

一体それをみて何を言えるのかと考えると価値があるしかしその価値って

なんだ

としか言えないわけであるいまは

 

価値ってなんだろっていうことである

 

JR横須賀からバスで行ったので帰りはあるいて気が付いたらもう浦賀の駅について

いたのでそっから京急で汐入までのって

高級ぽいきれいなショッピングセンターをひやかしてからかえりました

なつやすみ~~って感じのわかい人が多かった

都会は

わかいのが

多い

 

帰りの東海道線(’小田原まで)ではすわって横並びで

全く会話してないけど手だけつないでいるカップル高校生がいて

おもしろかった

男女とも美形なのでずるいぞって感じであるが

見てるだけなのでオレにはかれらの運命はまるで関係ないのである

それはそれ

 

しかし後半つかれたなあなにしろ湿気が高すぎるし

高温はつづいている旅してるだけでつかれちゃう

15000歩あるいたけど

問題はそれではなく湿度のほうだべ