なぜ絶望なのか

あのちゃんがインタビューにこたえてて

URLはろうかともおもったがYAHOOのオリジナル特集なので4つに

わかれていてめんどいしまあいいや

要約してはいかんとは思うがようやくすると

 

あのちゃんはひきこもりを経ていまは芸能活動しているが基本は歌である

なんでそうなるのかというと

まず

ひきこもりになったのは周囲(学校)に溶け込めなかったからだが

なぜ溶け込まないといけないのか

そもそもいまの日本は全然多様性をみとめる社会じゃないし

まだまだぜんぜんだし

だいたい世界全体として多様性を尊重していることが実現しているところなどない(世界はオレの意見)

そして他人とのあいだにコミュニケーションが成り立たないへたくそ

基本ひとりがいい

TikTokだけはスタッフから依頼されてやってる好きでもきらいでもない

コミュニケーションは成り立たないしいいたいことはまるで伝わらないから

外に出すためには音楽しかない

わかってもらおうとはおもわない

 

しかしひきこもり経験者として言いたいことはただひとつでそれは

どうするのかは自分で決めなくてはいけないということで

ひきこもったまま一生すごすも外に出るもなんでも自分で決めて行わないと

意味がない

 

結果などどうでもいい

 

というようなテイストをオレはうけとった

原文とかなりはずれているが

しょうがない

 

 

村田沙耶香さんの『となりの脳世界』にも

絶望についての文章がありそれは国語の先生がよむ雑誌

の記事だったので村田さんははたしていいのかと悩みつつ

こどもだったころのことを書いているが

それは完璧な大人はどこにもいないし相談もできないという絶望についての

ことだったと思うのだが

その文章は2回くらいは精緻に読み返したのだがどうも

なにか意味あいをオレが理解することがうまく理解できず

オレのせいなのか文章のそもそもの構造なのか理解しにくいかんじだった

がしかしそれでも並列で

わかいころに

おなじように完全ではない大人たちが書いた様々な絶望についての小説など

を読んで

読むことで生きてこられたから

おなじように絶望を扱う小説を今書いているのだ

という話だったと思う

 

絶望に注目があつまるのはどうしてだろう

 

太宰とかもそうだと思うのだが

 

どうしようもない

という

気持ち

 

だと

 

思うのだが