そういう意味ではオレは多分アラン・コルバンが好き

ところで今回は電車に乗る前からスタバでうだうだり

そのあと電車もながながで

かえりも新幹線のったとて対して時短にならんとわかり

またながなが普通でかえったので読書は捗ったのだが

 

その『私たちはいつから「孤独」

やっと文学に観る記録(ヴィクトリア女王とかいた)からはなれて

現代におけるSNS(そこにもってきたのはフェイスブック

とか

高齢者の配偶者をなくした人

そもそも高齢で認知とかその他疾患を得ている人

というふうに進んできているんだが

 

どれもそうだろうけどしかしそれは「孤独」が

メインではなくあくまで副次的に孤独が付け加わるだけであって

 

孤独のカタログってむつかしいんだなって

 

なんかね

 

問題を解決したいという意欲がこの本からきこえてこない

「もっと研究が必要だ」とか言うだけなんだよ

研究がどうしたって話で

 

なんかオレはイチャモンをたくさんつけたがっているのだが

 

なんかね

 

「感情の(歴史的)研究の専門家」が書いたっていうにしては

どうもものたりない

 

あいまいなものを「研究」とするような文章で

というなら

比較していいのかわるいのかしらんが

アラン・コルバンはもっと対象に迫る肉薄がしっかりしてたぞ

 

参考

www.fujiwara-shoten-store.jp

 

まあでも「孤独」が相手だからなあ

 

せめて「現代社会における孤独は何が問題か?」くらいに

論じる対象をしぼったらよかったんだと思うんだよ

問題じゃないものまで論じてたら日が暮れてしまう