映画「僕らの世界が交わるまで」 について

イオンタウン木曽川内のTOHOシネマズで鑑賞

 

とおかった

 

でも黒田駅のとなりの新木曽川駅

快速特急とまるから

豊橋まで1本で帰れたよ(そっから長いけど)

 

さて

 

ムービーウォッチメンでやったからみにいったが

みにいってよかった

佳作

 

上手い映画なんだよいろいろと

 

しかし映画のために人間がつくられている

ところが今おもうとちょっと気にくわない

 

原作者が監督だから自分のすきなようにつくれるんだろうとは思うのだが

 

結局「母」と「息子」が互いにおなじような葛藤からの

大失敗をするという映画なんですけど

なんというかね

 

母がね

 

母はちょっと人間として社会人としてあるまじき「ワルイ」ところを

みせつけるわけですよ

 

息子はバカディーンエージャーとして女のコの前で

いいかっこしたいんだったらそれはまだ「惡」になっていない

(バカですけど)

のでいいんだが(いいというか)

 

母は

母のそれをする動機が外見的には「息子が思ったような息子にならなかった

目の前にあたかもかつてもっていた理想にほぼ近い男の子が

あらわれた」からといってその男子に

職業的にやってはいけないことをしている(えこひいき)

親切という名の強制押し付けをしているのです

 

これはちょっと職業倫理としてしてはいけないことで

しかもそのことについて家庭でウソをついている

 

家庭人としても倫理がアウトである

 

かろうじて「あからさまな権力」があったからこそ

その男子のほうで怯えてくれたから悪事は最終的に露見しなかったが

もうちょっとで完全社会的にアウトでございましたよ

うまくいっちゃってたらどうするつもりだったんだろうね

 

なにしろ弱者(あるいは被害者)にエンパワメントする職なのに

当事者の意思を無視してるからね

これが押し付けのこわさ

 

そこだけひっかかりましたが

 

本来の息子のほうの

「女のコが社会的政治的に”めざめた”子」で

それにあこがれるのは「母親への憧れもある」のは

どうかな?解釈として

その子が魅力的だったから

後付けで政治的なところの付け焼刃が必要だったという風にも見えた

けどね

 

まあいいや

終わり方がキレいだった(言葉をつかわなかった)のが

映画的でいい映画だった

でもオレの年間ベストには入らないな残念だけど

 

次は

大阪のかえりに名古屋で「みなに幸あれ」をみます!!!

ここでみないとみれなくなるぞ!!!!

(宣言)