自認している「世界」の狭さを自認する

だれもが自分のみている世界しかみることができない

他者のみている世界と自分のみている世界を比べることなどできるだろうか?

 

(いや できまい)

そう できないよね~~主観でやってるかぎりはそれを比較することはできない(主観としての「痛み」の「強さ」を二者の間で比較することはできない(客観考量がない)

 

しかしたとえば「精神障害も担当するケアマネ」が「・・・・・」

誰と比較しようかな==誰をもってきてもおかしなことになるかもな~=~=

 

まあいいや

精神障害も身体障害も虚弱も40歳なりたての脳梗塞後の動けるしかし高次脳機能障害の男性も担当するケアマネ」が

「ある居住型施設の中でそこでは老人たちの担当ケアマネはそこに勤めるケアマネが担当することになっているが老人たちはもう行動の自由がないほど弱っておりまた主張したいことがあるほどの意志の強さも失っており端的にいえば死ぬのを待っているだけの施設でのケアマネ」

を比較したら・・・・

 

きっと死ぬのを待ってる場所のケアマネが家族のクレーム対応に泣きの涙かもしれませんね

 

あ~~適切な例がつくれないよ~||~|

 

つまり

世界が「広いのだ」と自認しているやつの見ている世界はだいたい狭い

という逆説ですよ

狭いか広いかなんてしらないよと思っているやつはだいたい広いとか

環境においてどうであろうとも自ら探しにいく情報でいくらでも広くできるとか

 

R-1決勝の最終決戦でデモ帰りの女子の様子を演じた吉住が

デモへの悪意をATTACHしているとかいってる奴がいるが

どうやってあれをみたらそう見えるんだっつうのバカが

 

あれをみて「デモはいけないね~」という奴がいたら

それこそ世界が狭いだけではなく読解力もなにもゼロの

いやさどっかからの悪意を無検討でうけとってしまうだけの

そいつこそが害悪だ

 

吉住が演じる「突破してしまった後の人たち」は

みんな

哀愁とともに我々(まだ突破できない人たち)に対して

覚悟のなさやうすっぺらい常識とやらなどのバカバカしさや

思いこみでもっていた偏見のあさましさをつきつける鏡だっていう

ことですよ

そうなんじゃないの?じゃなければあれだけ誇張して演じることの意義が

ないわけですよ

まあ議論したいわけじゃないけど正解もないけれど

 

認識の中にある「世界」が狭いとわるいバカの扇動的文言を

単純に受け止めすぎるから注意が必要だってことだよ

ネット右翼の文言をかるがるしく流用しているとほんとうに恥ずかしいことになる

ってことだよね

 

と思ってオレも日々注意していきていきたい

そうオレのためにオレは書いている

 

あと会いたい人には会いにいくとかそういう当然のことを