人間の「認識」に影響することがらは何かっていう話
『ネット右翼になった父』をつづけて読んでいるが
たとえば何かについて否定的なことを言う場合
障害者など
あるいは傷病者 あるいは社会的(経済的)困窮者(なんらかの身体精神的障害
も併存していたり)
について否定的(甘えだ とか がんばれば克服できる などの間違っている認識)
なことを言う場合に三段階くらいにわけてその発言の背景があるようで
1 リアルでそのような当事者に会ったことがない
2 ので 想像だけで判断している
3 自分の体験(困難を乗り越えたと自覚している)を元に彼らも乗り越えられるはずなのに乗り越えていないという批判の方法
が考えられるのではないかという話である
ふうむ
である
なるほどねえ~~でもある
(出典は当該講談社現代新書『ネット右翼になった父』P131 )
たしかにホンモノの生活保護を受けている人とか身体障害者で絶対に働くなどできない人とか精神障害者とかに実際に会うということは市民生活で普通に出会うかといえば出会わないですわねえ
オレはたまたま医療福祉業界にいたために話したりリハビリしたりその家にいったりいろいろしましたが
まあでも3の「自分はできたのにこいつらは努力していない」という
身勝手な判断は
こういうケース(障害とか貧困)以外の場面でもありうるのである
まさに
なんでも自分にひきつけて自分主観判断(狭いとは知らないので)で
やってしまう輩ね
なんでも本は読むものだ
本を読んでいると気分が回復する
料理と同じくらいにね
北海道もやめたし今日伊東にいくのもやめにした(とおいから)ので
それでちょっと気分がマイナスだったがノーマルにもどったよ
『みどりいせき』も
なんか興奮するところにさしかかってきたし
オレは何に興奮するのかは読んでてそこではじめて新しい発見があるから
おもしろい
ね!