職場での会話から

人が真にそのころをこころの底から「信じて」「信仰して」「それが正であるとということを100%確信して」いるということを

たにんに分かってもらうことはできるが

「なぜそうであるのか」の根拠を示して

その根拠コミで納得してもらうことは大変に困難である(なぜでしょう?)

 

まあ職場での会話でなんかこう「頼まれたらそれをする」みたいな精神の

話になったのよ

「それはうちの管轄じゃないからやりません」みたな

ドライな意見は昭和30年代生まれから否定されてるのよ

 

人情とかいって

 

この意見にオレは反対意見を出すのは大変に容易である(そんなサービスを

対価なしでやってあげるほどに重要な人物からの頼み?)

もし真に重要な人物からの頼みであってさらにその頼みが

多少の労力・時間を割いてでも「やる価値がある」と判断すればそれをするさあ

令和世代でもね

 

あんたら昭和30年代男だってそれをする価値がある(助け合いの精神を表明することは価値と意味と貸しをつくるという意義がある)からやるんでしょう>?

 

とか言いたいんだけどね

 

なんかかれらは「自分たちは人情に篤い正義と連帯を信じる最後の世代だ」というセルフイメージを維持したいのさ

 

とオレは思うのだが・・・

まあ世代論ではなく昭和30年代生まれにもオレとおなじく個人をもって単位としてる人もいるだろうし

オレが「個人として生きる価値を最善のものとする態度のほうがカッコイイ」と

信じているのもまた事実だからねえ

何を信じるのかっていうねえ

そうねえ

 

まあそれが職場2日目の感想だよ

かんがえ深いねえ|~