価値が高い低いなどという

人間の価値を高い低いなどと測ろうとする高齢男性がいてオレは周囲の90代人間とは差別化できていてブログの購読者もいいねも多い!しいちにち1万歩あるいているしオレこそが価値ある人間だと自分で言う

 

 

のを見ていたら物悲しいに決まっているではないか

ここにツイート貼り付けてもいいけどやめとくそれは晒しだから

 

僕ヤバがアニメ化で京太郎のおねえちゃんが声がゆかりんだってさ!

 

嬉しいね

 

そう

 

だから人間そのものに価値の高低があるとしてそれを測ったり誇ったり誹りをしたり

することほどの愚は無い

とオレはいいたいわけで

 

金銭の多寡をもって努力した結果の証明だからたくさん努力してオレは偉いなどというのは

 

他人と比較すんなよであって

 

他人を謗るほうに使うからいかんので

 

ツイッタなんか自己満発表会だからね

 

ブルデューの話を読んでますます価値について考えるようになったよ

 

 

一方で作品には価値がありここには

価値があることーこの点で

価値が足りないまたは悪いマイナスの価値があることつまり欠点ーこの点が

 

みたいなことは正当な批評として語られてもいいわけでして

 

それと人間そのものを価値の数値化する比較とは別のことだ

 

 

ってオレは言いたいのだがもっとわかりやすい例示ができるように修行しなくては

ならぬ

 

ともあれそうすりと

車で

持ってきたまんが

違国日記10巻を

よんでいると

基本的人権の話がでてる

人間は

うまれながらにして

全くの無条件で存在の価値をもつ

何をしたしていないできるできない

もっているもっていないのすべての

条件にかかわらず基本的人権という

価値をもっているのである

 

というふうに人間社会は

欧州に起源をもつ社会構造人工機能として

 

そうきめた

のだ

 

もちろんよくよく考えたすえに

そう考えてきめた(発案した)

のだけれども

 

そう信じることにしたのだ