老倉育(おいくら・そだち)
のことでもあるしそうでもない
人間の「そだち」はどこまで長く強く影響するのかって話である
でも化物語シリーズはいまでもぜんぶ見たいぜんぶ円盤欲しいと
思いつづけているもののひとつであって
好きなのは育と撫子そしてあの詐欺師である
詐欺師が騙されるところなど最高
猫物語白黒も最高で
えっと
それで育ちの話なんだがオレが一時期
毎月「文學界」を買っていたのは「激煌短命」の連載を
読みたいがためで
それはやはりどうしてもイメージとしての作家が女性が
いい家で育って
育つとどうなるかといえば悪とが醜悪とか執着とか他人を蹴落とすことで
自分がすこし快楽を得るとかなにかそうした「わるい」こと
~~「わるい」ことの定義もほしい~~
にたどり着くまでの自分の中を探すのか他人の中を探すのか
あるいは他人をみてそして自分の中をさぐっていくのか~~
みたいなことを考えるのである
あくまで妄想なので根拠がないが
中流というものがかつて日本にあって
その中流の日本の家庭は「かりそめにでも成立する良識」という
ものがおそらくあったのではないかと思われるのである
それは単に工業社会に利用されていただけのものかもしれないが
たとえば嘘をつかないとか
掃除を黙って行うとか(誰がはじめたんだろうね?)
それこそ二宮金次郎的な勉学と勤労に励むことの勤しみ)いそしみ)
まじめで 道を外さないような よいこ
が 奨励されて そのあと昭和がおわって平成でよいこはべつにたいして
いい価値でもなくなっていく(仮説)のだと思うのだが
そのような「よい子」は
どこからどのように
世間の中心からズレたところへ向かう思考をみにつけていくのか
あるいはヤンキーこそが子だくさんで日本社会の自民党がイエ制度を
まもりぬくとかいってるかんじとクロスしていくかんじの奇妙さ
とか
を考えるのである
イメージと実像はぜったいズレがあるので検証が必要になるのである
とくに根拠がしめせないばあいにはね
嘘をいってはいかん
根拠なき妄想は嘘そのものにほぼ近いから