まあつまり自尊心とかはどこから生まれるかというと
「奴隷労働は奴隷の主人がそこにいるので
主人のためだけにそれをするとかいうのは
そんなに尊敬もできずなんで仕えてるのかもわからんやつの
ために労働するとかイヤにきまってんじゃん」と
思うが
そもそも奴隷的拘束とか論外であるが
これは甚だしくしたからそうなだけで
そのエッセンスをもちあわせる「奴隷 的 な」
労働や貢納や賦役などはいまでもどこにでもあるわけで
アホかと思いますが
もっともアホなのはそこにいる「中間労働者」が
下にはいってきたやつのことを奴隷であるとみなす場合で
おまえだって上からの奴隷なのにさ
というやつである
日本の運動部部活動がかつてぜんぶこれだったので
これというのはつまり日本軍の伝統みたいなやつで
ファナティックにもなれるし同時にすごく弱い
なぜなら「普遍的価値のために戦う」のではなくて
「上官の命令をきく」ためにやってるからで
上官が屑みたいなやつ(じっさいに屑)なわけだから
そりゃ最終的に大敗する
屑じゃない場合には「オレの命令が絶対だからオレのいうこと
きいてりゃいいんだ」なんて
恥ずかしくていえませんので
「サブカルチャーの世紀」をみてたんだが
やっと太平洋戦争がおわって
「日本はコドモ」みたいな感じの占領政策で
波がかわるかとおもいきや朝鮮戦争になり
日本人は「やっぱ戦争はいい」みたいな気分で戦争協力してお金を
もうけて
どうも戦前から前後のリンクがたくさん生きていて
(オレが思っている以上にたくさん)
それが自衛隊・学校における運動部(スポーツは軍事演習の一環てあるから精神面指導とかいっちゃうわけで)・警察における特権的意識
の日本三大よくない連鎖(目にみえる)
眼にみれにくい連鎖は入管のようだが
とにかく人間(他人)のあつかいかたというものが
わるい近代遺産のままなので
わるい近代遺産とオレが名付けた