今君電話(たぶん再放送)

竹山先生の今君電話をみているが 

40初婚の50で離婚ってつらいだろうなあと思う

何がつらいかと想像すれば

40までの時間が「~たいのにできない」が続き

そのあと

わずかに安心があった後に

また「~が壊れた」思いのままやっていくとは

つらかろうと思うが

それでも

一度はいい記憶があったからいいと

思える?

 

竹山先生は別に慰めることとかはしないので

ただ相手が電話の向こうでしゃべるだけですけどね

 

孤独がつらいと思う人もいるし

孤独はそれこそが原初の感覚だと思う人もいると思うの

 

きょうは図書館で田中慎弥『孤独論』をちょっと

立ち読みしたのね

2017の作品

エッセイである

この人が書くエッセイとはと思ったから

 

しかし思うに

作家が書くエッセイは

「(私は)こう思う」はあると思うが

それが「意見」で「他の人もそのように考えてみたらどうか?」と

いうことをもしそのような流れがあるとしたらそれは「特殊な人の特殊な

考えが多くの人に届くわけないじゃん?」と

思うこともあるのだったオレは

 

しかし極ごく私的でますますとても個人的であることの極北にあること

のほんのひとつぶ

こそが

多くの人の心に届くということが

あるわけですよね

それはそうだと思うの

 

あとは『となりの脳世界』の気になっている部分を

再読した(立ち読みで)

わるい教師の話である

なんでも子供は覚えているからね

オレだってわるい教師の言動(子供をなぐるとかね)は

覚えてますから

ええ

いつまでも

 

まあそんなのはいいや

 

田中は「~というのは奴隷ということではないか」(大意)

というのである

我慢して

したくない仕事をしたりしていることは

奴隷

ということではないのか

 

というかんじらしい(立ち読みなのであまり正確ではないが)

 

漱石 自らを尊ぶものだけが

みたいな警句

 

まあ次回かりてみましょう

おぼえておいてね