図書館でかりて
明日返すまえに読み終わった
ヴィトゲンシュタイン「言語ゲーム」の概念は
ちゃんとこうやって解説してもらわないとわからないし
解説してもらってもそんなに簡単にはわからないが
オレが好きなところを書けといわれたら書けるのであってそれは
かれの「言語ゲーム」はコドモと心的なものとの関係(そのはじまり)に
ついて書いているという点であり
実は「はじまり」は分からないし
わかるのは「もうはじまっている」ことであり
しかも「網状の関連する概念を一体的に習得して使用できるようになっている」
ことが(遡及的に)わかるというところが好きです
この『このゲーム
では著者と娘とが
はじめて「他者と他者という新しい関係性」を結んではじまった
ということが明らかになるということ
嘘をついていたー演技をするー相手に感情があるので相手が
こういわれたらなんと思うだろうかと想像するーなどの心的なMOVEが
一体となっている
我々が人間と人間の関係をむすぶのはそれが
「相手のことがわかることもあるしわからないこともある」という不透明不確実
な
状態のままでそのままいくしなにも他人はコントロールも支配もできない
という実際のことが事実としてそこにある
わかってしまうものが真に「退屈」なものであり我々は退屈にこそ
我慢ならないのである
分からないものーいらいらさせられたり不安とか猜疑心とかさみしさ(不在の)
があってこそやってられるというまさに逆説こそ真実
この『このゲーム
では
人間は他人を必要とすることが前提としてそこにある
言語ゲームをやっているというのは他人と他人の間で少なくとも2人以上で
行っているということ
どこにいってもどの本よんでも
そうなんだよ
こまるね
「他人の心はわからない」という(単純な)懐疑論の問題点
がたくさん書いてあり
それでもなお人間が懐疑論のほうにふらふらと進んでしまう吸い寄せられる
ことまで書いてあるので親切にして丁寧である
他人の心
他人には心がある
ということ
は
ときに信じる