コミュニケーション(他人との間にある)

だからつまりオレが他人がいて困るなあと

思うことはすべてが過去遠いところ昔にあって今もある

疑問としても「コミュニケーションなんて他人との間に

成り立つわけないじゃん」(なのに世の人はなぜ成り立っている

などと思っているのか!?)

ということはあれだ

コミュニケーションが「他人とのかけはし」であり

それは成り立っていてもいなくても不十分でも

そこにあるし機能としてあらまほしきものであり

あってほしいものであり

ないとしても

象徴的な機能(意味ではなく)としても必要だ

ってことがまずある

挨拶

 

あいさつは「敵意のないことの証明」であるし

それって意味ではなく象徴じゃんね

 

それでさあ

 

コミュニケーションにつかわれる「言語」もまた

くりかえし意味の変容を起こし

一定のままでいられず

しかし「他人のそうしているものをこっちでも使ってみる」こともあり

試してまた変えて

 

その結果としてたまに「うまく通じている」かのように思うこともあり

それは他人のリアクションをみて感じることでしか微修正もできないのだが

 

それをしているのがChatGPTだ

とな(人間のリアクションをくみいれるAI)

 

ヴィトゲンシュタインが「言語ゲーム」と言ったときに

それはルールがそのつど生成されるゲームだのように言った

のだとオレは思っているのだがまさにルールなきゲームしかし

そこでそのつど発生生成するルール

にのっとってゲーム(勝ち負けのある)が行われている

 

我々はそれなくして生きていけないのである

 

なんてこったい

 

他人なんていなくていいしコミュニケーションなんて成り立たないと

思っていたのになあ

 

しょうもない

 

まあしょうがないね