『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
(やっと正式タイトル)
7章(1990年代)まで読んだ
やっといちおうのなんか重要なポイントが7章ででてきたので整理
「鼻多摩」
ちがう
「花束みたいな恋をした」
パズドラで有名になった映画|~製作者の意図とは関係なく
パズドラが「労働していると読書ができなくてパズドラしかできない」という
象徴的シーンをうんだのである
パズドラがうんだのである産んだそう産んだのだ
で
パズドラとは「コントローラブルなもの」の象徴であり
読書とは「アンコントローラブルなノイズ・カオス」であるということ
それまで「読書」は政府が文字を読めるようになれ読書しろ~と明治からいってきてたように社会においては個々の人間を「たかめる」ものとして
扱われてきた(’教養)または(修養)
学校の普及も明治からだし
国家が人間個々に「関与」するようになったのは明治からである
それまではコメさえつくって年貢さえ差し出してあとは一揆とか
しないでおとなしくしてればよかったのであって学問とかべつにいいよ
という話だったのである
でも社会そのものを「高めていく」(のは欧米列強に勝たないと負けてしまう
からでしたから)必要がうまれた
それでまあ戦争にはまけたわけだが「個々の人間」と「国家」とつまり
社会そのもの
「社会」があって
日本~=社会
で
日本社会という「一体感」みたいなものはそのあたりで戦後日本を
どうにかせんといかん(たてなおさねばならん)という一体感は
あったんだろうけども
そのために「仕事」をする
そして仕事をすると社会=日本がよくなる
という仕組み)(お題目)があって
それをみなが「信じていられた」わけだ
しかしことは経済のことばかりをかんがえていたら1990年代についに
それはいきついてはじけて割れて
「社会」が「日本」そのものであるとはいえなくなった?
「社会」とか別に仕事をしたりしなかったり個々の人間が
なんかしてもしなくても社会は変わらないというか人間個々からみて
社会は触れないものになってしまって
むしろ社会から離れたいという人間をさらに多くそこに生み出した
ひきこもりもそうだしフリーターもそうだし
この本によれば「自己啓発本」もまた社会とかどうでもいいから自分の
中の高められるものだけを高め清いものをつくりだしそこに
自分の城をつくるのが目的だ
(社会とかどうでもいいというテーゼ)
というのだ
そうだねえそのとおりだね
だから「社会は変えられない=アンコントロールなもの」
で
「目の前のスマホの中でなら変えられる=コントローラブル=パズドラ」
なのだそうだ
読書なんかしたら
文芸によって「世界の可変なありかたの可能性」とか
知ってしまうし
それによって目の前の労働社会のありかた(およびそれを信じている人たち
おっさんたち)が
ばかばかしくて
本当に
目をつむるかそこから逃げるかのどっちかしかなくなってしまう
そうなんだよ
わかるよ
こういう本だったということだこの新書ベストセラー
へえ
そうなるとは読むまえには思ってもみなかったよ
そして8章からいよいよ21世紀の「情報」になっていくんだって
もうちょっとなので読み終わってから図書館にかえすね
予約(他人の)も入っているしね