『概説 世界経済史』という本を図書館でかりてきて
読んでいるのだが
よいわるいは別としてそのときにあった歴史学のこと
をべースにして書いているのでやっぱりまだ「一直線の
歴史展開」や「四大文明中心」的な考えがそこにみられるように
思うのだが
たぶん歴史や文明って世界中で散発的かつランダムな進化退化枝分かれを
さんざんやっているんだと思うの(いまの人類学などの考えがそうなんじゃ
ないのか>?)
文献が多かった(そしてその文献が残っていた~あるいはアラビア語
に翻訳されてのこった)ことがいま使われてて使い勝手がいいから
歴史のあけぼのみたいに語られるだけであって
無文字社会とか書いてのこす習慣がなかったところのものは
もっとおおきくすごいのあったようにも思えるが
アメリカン・ネイティブの民のことをいったいどうやって
その大昔にさかのぼったときのことをいま知ることが
できるのだろう?(そのへんは『万物の黎明』に書いてあるのか
どうか?)
もちろんオレの脳のなかに「アメリカン・ネイティブ的な融通無碍な社会の
ほうが理想であってそっちがほんとはスタンダードだってことに
なってほしい!」という希望願望があるというのは事実である
願望 そうなってほしいということ
それと「事実」は区別しなくてはいけないのだが
問題は歴史における事実認定って
そういうのになじまない
ってところだよな~~
あと有吉の壁SPをえんえんみているのだが
本当にほんとうに佐藤栞里ちゃんの笑顔はかわいいなあ~~
ほんとうだよ