つづき

というのは認知症になることは「単身高齢者最大のリスク」であって

 

これが夫婦(パートナー)であれば

倒れた方が「あの人がボケてるけどひとりで家にいるからよろしく・・・ガクっとな」と倒れる直前に言い残すこともできるが

 

ボケた一人の高齢者は誰に対してもリスク状態を表明することができないのだ

 

なぜなら自分がリスキーであることを認知していないからである

そう思ってないならしょうがないよね

 

そのくらい我々は「単身高齢者」をほっておいてもいいのではないか

入院できない(近親者がいないので保証人がいない)とか

アパートがかりられないとか

そういうリスクはありますが

社会のほうでそれを救うことにきめて法制度を整備するならするだろうし

しないなら「こういう人は社会で救うというワクにはイレないことになりました」ということである

じっさいにホームレスでいたいと思ってホームレスのままでいる人にたいして

強制的にアパートなどをおしつけるわけにはいかないのである

(それはTHEYがそのような意思を表明しているからだ^ーアパートはいらないという意思)

 

ここでやはり「表明」というワードがでてくる

なんというか

「表明ができない人」には

認知症の人

言語が不自由な人

などなど他にもたくさんあると思うが

表明ができない人にはなにもおしつけないほうがいいと思うんだよ

つまり助け船をだすのも「おしつける」のひとつのバリエーションなんだよ

そゆいうことをするのは助けるほうの勝手な判断だろい?

 

人命救助もそうだけど

 

AEDをやったらあとで訴えられたとかね

良くある話で

そういうことがあるとわかっていてなおそうするという

人もいる

いるからねえ

 

本当に認知症だけをなぜ特例とするのか(あつかい)

認知症に「そうなったのは気合が足りないせいだ」みたいな

無茶な無根拠なことを言いだすくせにさ

 

世の中生きづらいものだ