はずかしいとかみっともないとかが体内にあるばあい

それははずかしいとかみっともないなあとか書くしかないのであって

にげたいなあ(できれば)とか

にげても別にどこにも天国もオアシスも避難所もないので

どこににげるかって詰んでいるので逃げないが

 

もちろんオレはバイトをやめるのだが

いつやめるのかと

さわやかにやめるのと

そのあたりを判断そして修飾しないといかんと思っているんだよ

修飾とはいいことばだ

恨みその他でやめるというのはいかにも禍根を自分の中にのこして

しまうのでそれは避けたいし

いつやめるのかの時期は重要だが

結局2025年春か2026年春のどっちかしかないわけで

つまり1年バイトでやめるのか2年やってやめるのかだ

どっちでもたいしたかわりはない

一方でオレは移住について現実的な行動をとりたいとも思って

いる

そこで関係してくるのが実家における老両親

果たしてオレの手が必要なタイミングはいつくるのかってことだが

これはオレには分からない(なぜならば老両親の健康状態の

変化がいつおきるのかなんてことは人間がいつ死ぬのか予報と

おなじで

そんなこと簡単にわかるわけないじゃんガン末期じゃないんだから)

 

このように記述をするとちょっとおちつくのだが

もうちょっとこれを確かなマップにしたいので

おおきめのスケッチブックに描写したいものだと思っており

それって100均で買う>?

とかね

 

部屋の整理には興味がないが脳内の整理整頓には興味があるのである

 

ここでちらかった脳内をかいてみると(すごいバラバラだ)

・ゴキブリ対策ブラックキャップを買いたい(どこでも買えるよ)

・スケブなどのおおきめの紙をかいたい

・とこやいきたい

・フィーヤンとりおきを買いにいきたい

・映画みたい

・フロはいりたい

・腸をととのえたい(昨日下っていたので)

・読書したい(江國さんの『読んでばっか』はアトロクで聴いたときから

きになってはいたがますますこう手にしてみるとすごいオレの興味に

近接している感じがする・・・取り上げられてる書評の本たちのラインナップも)

 

・はずかしいやみっともないは「こんな歳にもなって」というのが

大きいのだがこれもまたオレが年齢信仰に囚われてる感じもするので

年齢とか関係ないねと大きい声でいいたい

関係ないね!

つまり年齢をかさねれば自然とCleverになったり悟りをひらいたり

ってそんなわけねえだろということで

努力して訓練しないとそんな方向にはいかないのである

だから死ぬまで恥ずかしいやみっともないは存在するのだろうね

不安と同じだね

べつにいいけどねそれはあってもしょうがない

そのままかかえたままで死んでいくんだしさあ

 

みたいな感じだろうか