10月18日(金)

ファンキ^--フライデ^-!!

だよ

1週間ってはやいねえ(海軍カレーのごとく伊集院の草野球のごとく

オレも金曜のファンフラをもって曜日をつなぎとめているんだよ)

(伊集院のその愛知での朝番組ってのは楽しいのかね?)

 

曇にして雨もありそうな

つまり通る車のタイヤノイズに水切り音がまざっている

そんな10月のあさのくもりと雨である陰鬱な暗さであるぞよ

まずは燃えるゴミを出したいね(車から)

それがタスクですあとはどうでもいいや図書館Aいくくらいだよ

ああ10月ももう半分おわっているんだよ

まさに9月あたりから年末まで一気だよは本当だ

 

昨日のかえりの車(帰り道はいつもゆううつ・・どうして旅は永遠に

つづかないのだろう・・永遠に放浪していたいのにさあ)

で思たのは最近はあえて両親のことなど考えているのだが

・まいとしオレは大晦日が憂鬱で

・実家で紅白歌合戦を眺めているのだが

・べつに実家にいく義務はないと思うのだが

・じゃあオレはそれじゃなくて何がしたいのか

・と思えば別に他のしたいことがあるわけでもなく

・友人と二年参りにでかけるような友人もいないわけで

・しかし紅白は裏音声とかききたいのに

・それを居間でかけると母親が文句を言うし

・だいたいテレビをオレが他の人間もいる場所で見ること自体が異例で

・そんなわずらわしいことをわざわざするなんて

・ましてやべつに両親と会話らしい会話があるわけでもなく

・なんかのなにかで来年はこうなるみたいな活動成長資金倍増みたいな話もなく

・立派な成果も実績もないので

・へいへいぼんぼん淡々と市井の小市民の貧乏の地平すれすれ暮らしが続いていけばいいだけのことで

・とりま健康だけはいまここにあるのだが

・歩いてるからだ

・それにつけても大晦日の陰鬱よ

・しかし代替案がないのなら大晦日を楽しくする希望案があればいいのだが

・そんなものもなく

・オレがまさに後期高齢者両親になにかをプレゼンすることも提案することも

話を通すこともなにもしたくない(そもそも思いつかないが先にあるが)のであって「なにもしないほうがいいのですが」ってなもんで

あっちのほうが裕福で健康でそれなりマイペースでやってるんだから

こっちもそれなりマイペースでやってるしそれでもういいんじゃないかという

それだけのことで

・だから本来は大晦日実家にいかないほうがオレは脳内が健康になるのではないか

と思ってい(大晦日旅館宿泊とかしてみたいね)

・しかし両親が生きてるうちは実家滞在^滞在そのものが目的化しているー

・を継続するに致し方なしと根拠なくそう思っている

・これは思いやりとかそういうもんではなく「波風たたせずこの年月を

やりすごしたい」だけなのである

・してみるとこれこそがマイナスのつまり消極的選択というやつで

「~をしないことによりこのままの状態を保つ」というのはコドモの戦略だ

とかどっかネットに書いてあったが

消極戦略は現状維持戦略でたしかにそうなんだよ わるいことのわるいままに時間だけが過ぎていってほしいと願うことだ

改善とか可能性あるなしにかかわらず「それにさわりたくない」「関わりたくない」「いつのまにか時間によるもうどうしようもないところまでいってしまった結果だけを見たい」というある意味残酷な選択をしているわけだよ

は~~ざんこくざんこく

 

参考

問題を"放置"さえしなければちょっとずつよくなっていくんですよ - Konifar's ZATSU