あれですよあれ
オレが「なんとなくの恐怖」を現実に予想していることの内実は
「わからない」であって
それは「わからない」と「恐怖」をとりちがえているんだよと思いますね
なぜならこのあと何がおこるか分からないことは同じなのに
このあと「確率的にはバイトが決まるかもしれない可能性がある」のが
入ってきただけで
「確率的にはそうかもしれない部分」が100%のなかのいくぶんに侵襲してるわけじゃん
それが恐怖の「もとネタ 酵母」だよね
ふしぎなもんでそういう「ちょっとだけ未来が(確率的に)決定した」ってなると
それがおそろしいのです
我々は認識にバグがあるので100%まっさらにわからない未来のことを「素晴らしい」と思うようになっている仕組みだし
「100%ではなくここはあるていど確定している」と思うとどんよりするようにできている仕組みなのです
「100%死ぬってわかってる!」のは必死で毎日わすれようとしているしね
おまけに祝日(ことしの元旦をのぞけばはつの祝日)は
そこにかならずあるわびしさとなんとなくの漂う亡羊(途方にくれるの意味)感も
あるのです
羊もきのどくに
こういう「祝日にかならずあるその途方に暮れるかんじ」と
「未来がちょっとだけ可能性がFIXされるととたんに恐怖を感じるかんじ」は
たぶん共通なんだよ!
ふしぎだね!
昨日かってきたCDをがんがん聴いていこう(もうリッピングした)
Hovvdyです