1月13日(月) 祝日

あれですよあれ

オレが「なんとなくの恐怖」を現実に予想していることの内実は

「わからない」であって

それは「わからない」と「恐怖」をとりちがえているんだよと思いますね

なぜならこのあと何がおこるか分からないことは同じなのに

このあと「確率的にはバイトが決まるかもしれない可能性がある」のが

入ってきただけで

「確率的にはそうかもしれない部分」が100%のなかのいくぶんに侵襲してるわけじゃん

それが恐怖の「もとネタ 酵母」だよね

 

ふしぎなもんでそういう「ちょっとだけ未来が(確率的に)決定した」ってなると

それがおそろしいのです

我々は認識にバグがあるので100%まっさらにわからない未来のことを「素晴らしい」と思うようになっている仕組みだし

「100%ではなくここはあるていど確定している」と思うとどんよりするようにできている仕組みなのです

「100%死ぬってわかってる!」のは必死で毎日わすれようとしているしね

へんないきもの

 

おまけに祝日(ことしの元旦をのぞけばはつの祝日)は

そこにかならずあるわびしさとなんとなくの漂う亡羊(途方にくれるの意味)感も

あるのです

羊もきのどくに

 

こういう「祝日にかならずあるその途方に暮れるかんじ」と

「未来がちょっとだけ可能性がFIXされるととたんに恐怖を感じるかんじ」は

たぶん共通なんだよ!

ふしぎだね!

 

昨日かってきたCDをがんがん聴いていこう(もうリッピングした)

Hovvdyです