もちろん、本当にやる気がないときにやる気ない〜と言ってそのままダラダラとしていてはラジオにならない。ここからいろいろ表現がむつかしいが、やる気のないときのゆかりんは、やる気のなさが面白いのだ、そんなことはリスナーなら皆知っているが、はたしてそれを他の人にどうやって伝えるか。落語名人というものは、本当の名人になると、高座で居眠りしていてもそれを黙って眺めてるだけで芸として認められたというが。それは伝説なのか真実なのか。そんなんどうでもいいや。ちょっと例が適切でなかったかもしれない。
田村さんは「女・伊集院」ともよく言われる。伊集院、またの名を痴豚。深夜ラジオパーソナリティにしてギャラクシー賞受賞者でもある。
ああそうですな、伊集院ラジオの面白さ(深夜の方)を、知らない人に話すのも難しいなあ。伊集院は基本的に「やる気がない」ことが、ない。あるかもしれないが。基本はいつもの伊集院である。が、まあ、そうだなあ、ここでゆかりんの話のツマとして出してるわけだから共通点について言うのがいいと思うが、それは「自虐」かなあ。なんというか、どうしようもない自分の日常を語る。うんこもらしたとか。カードをつくるために裸撮影会したとか。なんかどうしようもない例だが。
ゆかりんが例えば調理というものがほとんどできないとか、サトウのごはんの愛好者だとか、友達がいないとか(いないわけじゃないですが)、趣味がないとか(スクラッチは好き)、人見知りだとか(本当)、なんかそういう一つ一つのエピソードは、「天才には日常生活能力に欠けてるところがある」に収束する気がする。あれ。伊集院のエピソードを出した意味がなくなってきたよ?
いやでも自分をフォローすると。実際話をきいているといくらゆかりんがすごい超Aクラスの声優さんでも、なんとゆうか30にもなってそんなんでいいんかね?ってところはありますよ。朝起きれないとか。世間のことの知識が足りないとか。ああでもそういう細かいこと、世間知とか世渡り能力とか、そういうのは別にゆかりんにはいらないか。
そうだなあ、やっぱり伊集院のことと比較するのは無理がある。伊集院はテレビタレントとしては自嘲気味に語っても別に嘘じゃないくらいのランクと思うが、ゆかりんはもし自分を自嘲気味に語ったらかえってイヤミになるくらいのランクだからなあ。その業界では。
というわけで、「人のラジオのおもしろさ」は、比較に向いた話ではないことがわかりました。それぞれの絶対値があるということだ。でもふり幅は大きい方がいいとおもうけどね。