今日の教官は、話し好きの中年おっさんだった。つまり私の同類である。いや、「中年おっさん」という項が。
神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)が。
話は唐突に、もう変わっている。えーと、
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20080422/p1
で。
これを読んで、本が買いたくなり、アニメが見たくなったということでメモをしておくのがよかろうて。3話は、まだ見てないので楽しみである。そのうちみる。
そして鹿野の名が出てきたのが大変うれしい。どうも鹿野の未来が心配で。オレの未来のほうが客観的には更に心配であろうが、オレは本人なので自分の心配なんてゆうバカなことをしている場合ではないのである。
えーとそれで。神、神の類のものについて、記録が公式であるとそうでないとにより分類され、非公式である限りにおいてそれは存在しないものとされるような、そういう態度がある。
そこにあっても、ない、というのは「無視」とか、「意図的な否認」とか、「最上級の敵意」みたいなものをあらわしているのではないか。いなくなれ、と。
そんなのないよなあ。ある以上は、もう、あるのだから、消せない。失敗も虚偽も刻印もなにもかも、それがそこにあるならしょうがないじゃないかなあ。
あれ何の話だっけ。