だが「自分は正常」と信じていても、言いたくて言えないことなどはあるし、いくらでも言えないことがたくさんあるよ。
とらドラ! 08話を見ている。
いたい、心が痛い。もやもやしてても、キックにぶつけるしかない大河のこころのひりひりしたところがこっちにストレートに伝わってきて、痛い、とても。そう、キックも怒声も、みんなこころが言いたくて言えないことの、どうしようもない表れだ。わかったりわからんかったりするんだ。
ええアニメや。というか原作がいいんだよなこれ。って1巻をやっと中盤まできたところなんだけど。アニメ先行。でも原作の方が、大河が、細やかだ。と思う。こまやかで、襞が深く、多面性がある。それはきっと1巻でヤス先生の絵がまだあんまりこなれてないからというのにも関係あるように思う。その分、読者の想像力が勝手に翼を広げてしまうのである。
原作の方が、「北村に恋してる乙女」である大河の像がくっきりしているように見えるんだ。あと、原作の方が、まだ大河が常識ある人間に見える、かろうじて。アニメって大変だよね。声優さんが普通の俳優よりももっとはるかに大きい振幅で演技つけないと面白くないのと同じく、絵をつけてそれを動かす場合に原作にあるそのままじゃあ全然面白くないので演出という名の「やりすぎ」を本当にいろいろたくさん技術が発明され繰り返され見せ方にそれぞれ面白い個性がうまれていく。のではないか。
そういうのがどんどん先鋭化していくなかで、比較的「とらドラ!」はオーソドックスなやりかたを続けているように思う。
だがいまだに、北村の意志みたいなものと、みのりんの意志みたいなものは全然わかりません。ひょっとしたらそういうものはないもかもしれない。みのりんは大河を見守るだけなのかもしれない。そう考えた方がシンプルでいいかもしれない。絶対負ける女かわしまあみのことはこの際どうでもいいので捨象。