おととい、森永卓郎の文のリンクを載せてみたが、それについて。
 
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51140387.html
希望の欠如こそ、亡国の政策;404 Blog Not Found
 
移民を受け入れざるを得ないのだろうか。
・・・希望がこの国に欠如しているのは分かる。希望のあるところを目指して移民がやってくるのもわかる。
あと、カップヌードルが400円になって困るか、介護が月400000円になって困るか、といわれたら、それは困るという。
 なんだろう。
 希望の欠如が究極の問題点なのだろうか。
 あとわからないのは「希望を生み出す→移民がくる→現状の安くて手軽なサービスが維持できる」という→流れ、が、どういう仕組みなのかよくわからない。
 たしかにコンビニの外国人店員、牛丼屋の外国人店員、その他あちこちで聞く「ネイティブじゃないけど理解できる日本語の声」は、そこかしこにあって、彼らは多分だいたい「希望」を探して日本にやってきた人なのだろう。
 別に移民を完全拒否というわけにはできないだろうし、なあ。
 やはり生活保護問題(新規移民が、直で生活保護受給者になる問題)と、移民そのものについての問題は別で考えるべきなのだろうか。
 あと「移民はいらない」と考えることと、「移民とは別の手段で希望について考える」ことは両立できないのだろうか。
 
 突然話かわって
ヒャッコ 07話
を見ているが大変不愉快。不愉快なのは個人的な感想。写真を了解を得ないで撮るのは着衣であっても犯罪という判例が出たばかりであった。あと、なにがSだ、バカ。単に性格が悪くて不愉快で社会の誰からも嫌われる迷惑な奴ってだけだ。
 イヤな奴は殴り倒して踏んづければいいのだ。
 なんでそんなアニメをわざわざ見ているのか。そのとおりだ。