まだひたすら エルフェンリートをみている、いま10話まで終わった。
 
ジャンプを買った、今週もバクマン。は絶好調おもしれえ。それにしても、漫画編集者をマジメに描き、声優オーディションを不真面目に描く(というかエロな偉い人の独断で決まる)のはきっとこれ分かりやすくした関係とは思うけどどっかから反発買うんだろうなあ。
とはいえ。
世の中の実情は、結局、まじめな人もいるし、エロ優先(顔でえらぶよ!)である面もある、どっちもアリアリであるということではないのか。人間は見た目が勝負であり顔は大変重要。
顔がダメなら巨乳で勝負だ。
天下をとるなら王道だが、隙間を抜けて生き残るなら邪道だ。
と、いろいろ考えるのでバクマン。は本当に面白い。
新妻くんが言う「キャラが勝手に動く」は理想なんだろうなあ。そしてそれを具現できる極少数の本物の天才もいるんだろう。ガモウがそう言うんだからきっといるんだろう。

 
で、エルフェンリートに戻る。9話10話、たてつづけに、最終幕に向けての「過去の披瀝」がなされた。そして、おそらくは最後の敵があらわれ、坂東は未だ生きていることがわかり、ナナが
そうなんだよなあ。疑問が二点。閉じ込めておくだけで精一杯ということはコントロール不能なんだろ、そんな危険なものを「兵器」として使うなんて可能なのかね?人間を見ただけで殺してしまうんだろ、なあ。
もうひとつは、ナナを抹殺することを命じた、でも蔵間さんは逃がした、、、、んなら、長官が自分(の子飼いの部下)の手でナナを抹殺すればいいんじゃないのん?なんでそのかわりに35を使うとか言い出すのん??
あっいかん、いま蔵間の字の確認にはてなを見たら重要な設定上のバレを見てしまったああ。まださいごまでみてないのに。まあいいか。
 
 あと、昨日はドクターに寿司おごってもらった。ごちそうさまです。
 しかしそこで出た話題なのだが、なぜ、ある一定の層の人間は、「結婚しない人間は人間じゃない」とか言うのだろうか。しかも120%真剣な顔をして。
 つまり彼らは、その発言をするときに、自分が偏見を持っているとか、自分はある極端の上に立っているとか、露ほども思っていないのである。
 彼らは自分が善人で常識人だと思っており、彼らは、結婚していない人を見ると、「たまたま何かの理由で、今はしていないが、人間である以上は、いずれ結婚するものであるから、それを鼓舞したり応援したり、または早くするように促すのは、大変いいことであり、まともなことであり、人としてそうすべきことである」と思っているのである。
 こういう風に文章化すると、オレがいかにファナティックに怒っているかが、よくわかるなあ。
 自分の不確実性とか自分の自由度の広さを最大限に信用するのもある意味同じことだ。
 でもそれでも、「どのように考えてもそれは自分についての信条である限りでは自由」と思うんだよなあ。あくまで自分についてだけだ。他人にそれを適用なんて絶対にしない、それダメ・絶対。
 しかし、さらにまたいつも思うのだが、自立と孤立も違うんだよなあ。なんてこったい。さてエルフェンリートの続きを見ようっと。