よる2

日本における結婚の『呪縛』について。
 
いやーひどい感想ではありましたが、それでも全部オレの本音だ。
 オレが一番思ったのは、つまり、愛人を満喫してればよかったのに・・なんです。まわりはうるさい、うるさいけど、自分はこれでいくという線路を決めて、そしてまわりを騙していれば、そのまま愛の生活を透徹できたのではないか。まあ多分周囲から崩されていくんだけど。
 
 そういう話。世間とか周囲とかが、結婚によらない男女の関係をみとがめる。本来の個人の性愛は個人の自由に属するので、もし糾弾できるならばそれは真木くんの妻が愛人を訴える場合だけである。ま、あの人はそんなことしないですけど。
 
 さて呪縛である。
オレでさえ、正月に親戚に挨拶にいきたくないなあと思うくらいの呪縛。なぜなら叔父が、人間は早く結婚しろ(しないのは人間じゃない)と言うからだ。説教として。怒るのである。
 まあその叔父はある意味では貫徹している人間像なので尊敬もしている。なかなかいまどきそういう人、いない。怒ってくれるのは愛なのである。うるせえけど。
 
 さて、しないのは人間じゃない、というのである。ひどい論理だ。だが彼にとってはそれは真実であるーなぜなら信じているから。
 それを使うと、オレもオレの姉も人間じゃないことになるのである。
 
 まあそういうことなんだろうな。
 
 いくら個人が、自分はしたいようにすると言っていても、あれだ、他人が他人を見る目までは操作できない。そして「よかれと思って」くだらないことをやんわり言ってくる奴がいるのである。実在するのである。
 「いいひとをさがさないと」みたいなやつである。
 ころしてやりたい。
 
 さっき出てきた叔父のように、説教というモードを使う人は、まだいいのである。彼には信念があり確実である。彼はべつに「よかれと思って」などいない。真実はいつもひとつ。
 
 こっちの「よかれと思って」おばさん、そう、こういうやつは常におばさんである、もう女子などではなくほんとうのおばさんである、ここではオレは蔑称としておばさんという語を使っている。
 なにがよかれだ。おまえの意図なんかしらんわ。
 おまえにあるのは世間体を気にすることが最も重要なことだくらいの下らんふわふわしたアイデアだけだ。
 世間的なだいたい真中へんのことに従うみたいなことだ。
 そもそもの個人的信念も確実さもなにもない。容易に動く。付和雷同。集合的な押し付け。同調圧力
 日本におけるけっこんの呪縛とはこのような精神としてのおばさんのもつ無責任言語のことなのである。
 もしある日とつぜん世間のまんなかが動いて違う思想が中心に至ったならばその朝からそれを他人に押し付けまくること必死である。それが昨日までの言っていたことと完全に矛盾していたとしてもそれを恥ずかしいとも思わないのである。それがおばさんである。
 
 オレはそういうのが大嫌いなのだ。
 このようなわるいおばさん的精神は見た目や性別にかかわらず日本のあちこちに存在していて大変にやっかいだ。
 おわり。