オレは「けいおん!」と「咲」だったら「咲」をとるね

 朝からこんにちわ。わわわ。寒いですね。いえ、オレん家が。雨なので。家で朝からアニメってますよ。とりあえずしゅごキャラ!83-84話。いろいろあるがルルがたくさん出ていてうれしいし、正式にイースターとの縁も切れたみたいだし、まさにあむちゃんラブの裏返し行動だし、そろそろルルがもうちょっとあむちゃんに一歩近づいてもいいんじゃないの。とか。
 さて。
 
http://d.hatena.ne.jp/seiunn3032/20090520/1242827200
「創造力より生成力の時代――ハルヒ2期の前に整理しておきたい、京アニが『けいおん!』を選んだその理由。」
 
 みんな「けいおん!」大好きだな。オレもスキんなったよ。部活アニメの系譜もスキだなあ。そもそも自分が高校からこっちずっと文科系だしなあ。「部室にたむろする」のは学生の特権だし。
 ふうん生成力かあ。動作。身振り。(ここでMIBURIのことを思い出したが、関係ないのでカット)
 なんだろう。生成。それをみて、MADを作りたいという気持ち、音楽オレもやりたいという気持ち。気持ちを生成。踊りたい歌いたい騒ぎたい。
 というのはあるとは思うのですが、いろいろありますが、結局「狭いところに対してのうちこみかた」の問題か。実際、「なにかしたい」人もいますが、「見るだけでいい」人もたくさんいるわけで。オレなんかは「見るだけでいい」人ですね。
 話題になってもりあがることはそれ自体宣伝効果はあるとは思うのですが、自動生成的もりあがり(「輪をかけて広がっていく」)なんてゆうのはそうそう簡単に狙ってできないと思うのですよ。
 ハルヒ二期に関しても、たしかに突然新作登場することはおもしろいことだと思うけど、「話題性」重視のための作戦であって、アニメそのもののおもしろさとは別のところにある事象。
 何をいいたいかというと「とりあえず、オレが一人で見ておもしろいかどうかが重要」というんであればそれはアニメそのもののおもしろさが問題。
 そういう意味ではオレは「けいおん!」と「咲」と比較したら「咲」の方がおもしろいです、今。
 それはオレが何を求めてるかによる。オレはストーリーを求めてるのだ多分。そして、「咲」は、部活アニメだけどそれより「勝負」「勝負をつうじた百合」の話である。勝ち負け、憎しみ、愛。恋慕。友情と愛の区別みたいな。
 「けいおん!」にあるのは「わいわい」であって、わいわいの中にはストーリーが無い。小さいエピソードはあるけれど。
 それはやはり原作アニメであるから原作のフォーマットを完全無視するわけにもいかず、4コマのマンガからつくられたアニメが小さいエピソードの積み重ねでないわけがない。同時に「咲」が流れあるストーリー(と、勝負をつうじて見える各個人の深みあるキャラクター性)になるのも当然のことだ。
 小さいエピソードからなるのが「日常」なのではないか。「日常」には、大きい流れは存在しない。自分が大河ドラマの主人公であり、長い年月を経ていずれは大きい達成を・・・などとマジで考えている人がいるとその人は「誇大妄想狂」みたいな言われ方をする。実際学生でも社会人でも、リアル社会の中で生きるってのは小さい毎日をなんとかやり過ごしていくことの方がはるかに割合大きい。
 しかしそういうことばかりしているとだんだん「こんなつまらん人生がオレの人生であっていいものか(否)」みたいに思えてくる。
 そんなときに「勝負!」という刹那の時間に生死を賭けるストーリーに耽溺する(または愛という無時間性に魅惑される)のもいいし、または小さいエピソード(だけどそれは毎日同じではなくいろいろとバリエーションをもって提供される)の色鮮やかさにわくわくしたり、またはわいわいしてる女の子たちの生き生きした柔らかい動きに胸を躍らせたりするーつまり細部ばかりを見るーのもいいんじゃないだろうか。
 小さくなったり、動いたり。
 
 などと朝から考えたがまとまりないのは相変わらずだ。
 とりあえず、オレはのどっちが幸せになれるかどうかだけが心配なんだよ!咲と結ばれようよ!