リンクとかけっこうこわい

今夜の夕食(今夜の朝食だわない)は、「ゆかり」をかけたきゅうり。うまい。超うまい。何度でも書くが「ゆかり」は三島食品登録商標です。うまい。あーうまい。ゆかりをかけたシーチキンとかも超うまい。しわわせ。
 
今日のできごと
嫁姑問題は永遠のきざし。というか「いやなら止める」という手段が使えるか使えないか、そこが問題。
実際には、いやなことは、「やめることが可能」な場合と、「やめたいけどどうしても他の力が強大でやめることができない(強いられている)」場合、「やめたいのに一方で自分はやめたくないとも思っている(アンビバレンツ)」、「やめたいのだが一方でこれをやめると他の利得を失うことがわかっており、はかりにかけると、やめるわけにはいかないという推論が成り立つのでいやだがやめられない(経済合理性)」といったさまざまなケースが考えられる。
嫁姑問題とはぶったぎってしまうと「結婚ということを一応『したい』のでしたのだが、そこにセットで、本来欲していないものがついてきてしまった」ことである。というか「家」。
 しかし21世紀、おおかた、「家」は崩壊しつつある。上の世代との同居がある場合というのがどんどん少なくなっていく。
 
 思うに嫁姑問題というのは「スキだから結婚したあいて」と「スキでもないのに新しい家族のメンバーになってしまった」人が両方いるということだ。
 そこで「新しい家族をここで一からつくる」方式にすると、そういう問題は起きない。
 ぜんぶ「配偶者の両親とは同居しない」方式にすればいいのである。
 
 まあ経済的問題とかあるんだろうけども。
 
 誰が誰の稼ぎで食っているかである。
 
 同居して扶養しろとか、収入のある家族とか息子とかがいると生活保護が受けられないとか、そういうのはおそらく旧時代のことになっていくのである。
 つまりやってくる「完全個別ひとりひとり経済」。コドモを除く。
 しかし「コドモを、親が育てる」ことは変わらないだろう。親というのはコドモをつくる時点で2人いるというのも変わらない。このへん、「同性結婚」のパートナーズも養子とったりしても2人の親という形をとるのは興味深いと思う。どうして3人ではないのか。3人でトライアングルの愛をはぐくむのは人間にはムリなのか。
 
 などといったことを今日は考えたが、慣例により結論はナイ。
 こういうダラダラ思考はついったーには不向きだと思うがどうか。(ここ数日ついったーを試してみているのであった)ついったーのなんとかをここのなんとかと同じにしてみたがどうか。ついったーにハロヲタをヲチしてる人がいて、その人が、そのハロヲタの男を、ものすごい蔑んでいるのがとにかく気持ちわるい。笑うものが笑われるのである。愛するものは愛される。耳掻きストーカー殺人の男が哀れでならない。分散型日記。思考ダダモレ。こういうのはついったーに向いてるだろ。