多すぎるチョイス、自由、感じ方

コミックスを買う量を制限しているという話。
 
リストつくってみた。
 
ネギま
バクマン
ハヤテ
放浪息子
百舌谷さん
ヴィンランド・サガ
西炯子先生のすべての新刊
みなみけ
テレプシコーラ2部
甘い生活
 
なるほどこれがいまのオレの読むコミックスなわけだ。
いや本当はもっといろいろみてみたい気がしている、が、いくとしてもマンガ喫茶くらいで、そしてそういうところにいくと、なぜか何度でもH×Hとか読み返してしまって、新しいのが読めない。「モテキ」とか見てみたいのだけれど。
 
なにしろ雑誌はジャンプ・サンデー・ヤンジャンしか買ってないので、新しい漫画とかもうわからん。
 
でも別にいいじゃんと思っている。音楽は既に動画サイトのおかげでずいぶんとフラットになったと思う、無料で聴いて、本当にほしいものはCDを買う体制。CD音質は満足できる。
 しかしマンガはそうではなく、どうしてもオレはWEBコミックがダメだ。ぜんぜんつまんない。音楽のビットレートの問題とはぜんぜん違うものがそこにある。
 おもうにディスプレイの問題だとおもう。
  
 人間の目はHDとか高画質とかいくらいっていてもそのへんのディスプレイとは格段に違う解像度でみているのだと思う。しかも静止で。ディスプレイは静止画像ではないし。
 
 そのために印刷術をマスターしたものが絵をひろく流通させる制度を開発した。
 
 絵。われわれは絵に萌えることができる。もちろん文章の中にいるキャラクターにも萌えることができるのだが、さて、
 マンガは、その「絵」でありしかも文章を使って綴られる、ふたつの方法を融合させた「キャラクター」を感じさすものだ。
 ところで絵を感じる部分と文章を感じる部分というのは、人間の脳では別々の箇所にあるはずだ。
 音楽も。
 
 バラバラな文章だ。まとめようという気がまるでない。
 
 ちなみに上の10のリストであるがこの中で「絵」がいちばんヘタなのがハヤテであると思う。みなみけの作者は、みなみけの世界に最適な絵を開発し、その世界は絵の許容するところからまったくズレていない。しかしハヤテの世界はときに絵の許容するリアルの範囲をはみ出そうとして失敗しているのだと思う。ひとつの絵でなんでもできるわけじゃないが。だがしかしひとつの絵にひとつの世界(トータルな世界)は、アリだと思う。ぴったりマッチ。ジャストフィット。
 絵と文章とかもそうだと思う。
 絵と文章と音楽とを全部マッチさせるのもむつかしかろう。