つづきだつづきだ

まど・みちお
偉大なる詩人。
 しかし詩の本というのは本当にオレそれ読めるだろうか?という自分への疑問が先にたって、買えないことがおおい。しかしそれでもNHK特集でやってくれたまど・みちおの話はなるほどすごいとしか思えない。なにしろ1909生まれである。
「『鼻が長い』と言われれば からかわれたと思うのが普通ですが、子ゾウは『お母さんだってそうよ』『お母さん大好き』と言える。素晴しい。」(まど・みちお
出典・Wikipedia
この話は当然NHK特集でも語られた。
 そして彼の、ちいさいものにむける目が、いまだに衰えていないことがまた素晴らしい。アリ、そして草花。エネルギー。創作というのはあるいみ地獄でもあると思うのだが、それでもノートを付け続けること、本当に素晴らしい。
 まあ家族がどう思ってるとかはちょっと脇においておいて。
 そしてまたあの稲城市というところ、遊園地のとなりの病院というか施設、あれはハロヲタで何度もよみうりランドイベに足をはこんだものとしてはおなじみというかそういうところである。山の中。東京から遠くない。
 
 しかしだいたいの爺というのは体力と気力が交互に並んで衰えていく、足がよわくなるとかそういうことではなく、生きる力そのものについての衰え。考える力の衰え。というか「なぜ考えなくてはいけないのか-----考えることなどしたくない」というか、しなくていいことは全部したくない。動きたくない。とくになにもしたくない。おしゃれも何も。
 おしゃれとかいうとこれはもうかなり生き延びるだけの人にとってみれば下位ランクかもしれない。それでも、爺とババアを比較すると、どんなボケババアであっても鏡をみると自らの姿に反応するのは圧倒的にばばあである。髪に手をやったりとかね。爺はほとんど無反応である。男女の差は大きい。
 月曜に買ってきた二冊の本は平行に読書しているのだが「無頼化する女たち」マジおもしろいわ。いま東電OLのところまで読み終わったのだが。いやーそりゃ無頼化せざるをえないよね。何がほしいかにもよる。
 まどみちおがほしいものとは何なのだろう。オレは「自分の思っていることの形」なのではないかと思う。あれだけ執拗にノートを書ける人間はそうはいない。
 しかし昔の彼はどうだったのだろう。若いころ。中年のころ。壮年のころ。日記とかつけてないのかね。