ラジオガールズ

まあオレは悠木碧ちゃんのファンなのであるがニコでラジオを聞いている今。
 かわいいなあ。

 
さて日本では労働環境の流動性の低さが昔から指摘されている。
 これはルールの「ゆるさ」と、「ルール外のこと」との関係がいつも非成文化であるということによるのではないか。
 まえにも書いたが「絶対守れない厳密なルール」があって、「常にルール違反な現状」がある。そして、たまに「取り締まり」があり、そんなルールは守れないのであるからかならず取り締まられる。
 そんな現状。
 もっと、文言としてのルールは厳密に守られないと形骸化するし、そもそもみながルールをリスペクトすることをあきらめ、ルールはただの「建前」であるから守らなくていいという、ルールに関してのどうでもいいよ現象がおきているのである。
 
 これは前にオレが日記に書いた「言葉の上の意味と感情のレベルとの乖離」である。
 であるというか、そのもの。
 
 オレ、そういう世界きらいだ。
 
 まあしかし。
 
 それでもなんとかやっていくしかないのである。
 すこしずつそういう「言葉が捨てられつづける」現状は改善されつつある。ついったーが取材内容を言葉にして流通させることで「これは冗談であります」と後からいうことを許さなくしてゆくこともある。パーティーで自分の本音を言ったためにクビになった法務大臣がいい例である。あれは冗談じゃなくてただの本音であった。それはついったーではなくTVで流通した。
 
 オレの職場には「法律」があり、その「法律」には「−−がーーの指示の元にーーを行う」と書いてある。よってその指示は明確化文書化されていないといけないことになっている。
 
 −−−−−−−−ちょっとオレ内部告発とかいましそうになっているのでちょっと食い止める。