もち

勿論、お話の都合というのはすべてのお話でそうなのである。
そういう風になってほしいから、そのようにつくっておくということである。意図と手段(方法)、造形。
 
あたりまえのことだ。
 
 いや、虚構を、これはほんとうにあった話です、と書くのは怪談でもなんでもあたりまえのつくりかただ。
 だから真剣にうけとめる(「これは本当にあった話なんだ!」と)のはもってのほかだ。
 
 じゃあどういう風に受け止めるかというと「お話なんだよね」であるが、これもまた、つまらない。
 
 じゃあどっちでもない第三の、あるいはかぞえられないところに位置するような、そういうやり方で、もし言えば新しい方法で受け止めるとか、受け止めないとか受け流すとかしないといけないのかもしれない。
 
 何が気に入らないって、後付けを肯定したくないところである。
 
 後付けが真実か虚構がギャグなのかもわからない。読者なんて非力なものだ。