よる2

まあ、限界はどこにでもあるんだけど。死のタブーとか。治りません、この人は悪化して死にます。と言っちゃいけないとか。でも事実そうな訳だし。でも医者はなかなかそう言わない。そういう教育うけてるんだろ。
警察が構造として誤りを陳謝できないのとか。(取り締まるには無謬性が必要なんだろ、きっと。偉そうである必要とかね。)くそ食らえだが。
死にますと言わないから、死なないことを前提に生きる生なのだが。
こういうことを書くと若くて難病の人は死ねというのかと思われそうだがその辺に重点的に福祉予算を充当することに全く異議なし。
問題は、自然の摂理として、死ぬ方向に向かっている超高齢者の大群である。ベッドは、もうないのだ。家で死んでくれ。厚労省はそう言っているのだ。
老化にともなう、人間が悪くなる問題があるのだ。
愛があれば救われるのだろうが、残念ながら悪くなるので、見放されるのだ。悪くなければ愛されるのに。残念である。
悪くなるというのは認知とか暴言とか暴力とか、コミュニケーションが通じなくなったり思いやりがなくなったり自己中心的になったり、とにかく、他人へのサービスが出来なくなることなのである。
簡単に言ってそれが人格の変化である。
ことは認知症だけに限らない。
その事に気づいた。健康を失うというが、精神、感情、他人を思いやったり不快にさせない、ほめる、たすける、慰める、寄り添う、そういったcareだ、それが、なくなったときが人格の崩壊であり解体である。人間の解体。