よる

そういうわけで週に一回の飲酒タイムは終了をむかえつつある、
 結局「浴びるように飲む」ことはそもそもできない。限度がある。食品の消費は無限大には伸びないのと同じである。
 
 読書関係
 
 昨日が当直で二冊平行読書していた。
 「アグルーカの行方」は読了。たいへんものすごく楽しめた。申し訳ないが。なんちゅうか、テーマがいい。昔、19世紀の探検家冒険家がイギリスという国にいて、英国だけど、それでかれらはイヌイットの国にやってきたわけで、北西航路なるものを探していたが、ある者はイヌイットの流儀を受け入れて最適な行動をし、あるものは英国式にこだわって死んだわけだ。
 イヌイットの流儀とは彼らのように衣服を食糧を調達することである。大事なのは保温と栄養。それがあれば死の地に見える土地でも自然のものから得ることができる。動物を殺してビタミンを得ることができる。
 そうして「不毛地帯」や「海だが凍っているところ」を自分の脚で移動していくことができる。
 前半の凍った海もよかったが、後半の「不毛地帯」も、なにかすごくよかった、カナダのあのへんが一体どうなっているのか、世界地図をみるたびに疑問があって、ただのまさに不毛な土地が広がっているのかと思っていたら本当にそうで、湿地であり、歩くにはまったく不向きに思われ、それでも生物は存在して、人間もいて、交易地があった、今もたぶんある、ということ。見てみたいなあ。
 
 「暇と退屈の倫理学」。やっとハイデガーまできた。疎外のところを乗り越えるのは困難した。眠かったし。夜だったし。
 アーレントマルクスの著作を意図的にかきかえるとかよくないねえ。
 
 それにしても現代の病理の深さよ。定住革命の前が悲惨な世界だったなんていわせない。人口は少ない方がいいのだ、なぜなら動物を狩猟するのは数が限られているから。大地とのバランス。狩猟そして移動は、さっき書いたとおり、どんな土地でも地球であればおおかた可能であり、不毛地帯でさえそうなのだから、熱帯とか温帯とか、まったく人口さえ少なければ余裕であろう。人口が多くなりすぎたのが桎梏。
 
 高齢化社会なんてそもそも存在しなかった。
 
 それにしても、そもそもなかった「本来」をいいたがる病理もひどいもんだなあと思った。「ここには我々が忘れてしまったものがあるのです」あるわけねえわ。