書籍『狩りの思考法』

理屈がうるさいのがこの著者の特徴である

著者は角幡唯介

「そこにある山 結婚と冒険について」は金出して買って読んで

よくわかった

とにかく理屈がうるさい

しかも自己流の理屈で

既存の学問の用語を使うのである

 

と書くと批判にみえるけど

批判です

なにが批判されるべきかというと

その文章が「うるさい」ところが

これも個性ですといって流せるような感じではない

 

でもべつに「そんなのは無いほうがいい」というふうには思わない

なぜなら本人があとがきにもこれはエッセイであると書いており

つまり個人の思いのことを書いているので

用語が既存の学問から援用するのは致し方ないし

本人も編集者もこれでいいならいいんじゃないかと思う次第

 

べつに小粋な文章を修業していこうというような人ではないので

ありのままでいいんじゃないですかというふうに思う

なにしろ文章を書くのは本を売って極地旅行をする資金にするのが

目的なんだから

 

図書館で借りてよむのも恐縮であるが

図書館がみな全国で購入するだけでも大きい額であって

大変なものである

購入してない図書館はこれは面白いからぜひ購入すべきである

 

どこが面白いか

 

この著者はすでにいろんなたくさんの著作をものにしていてさらには

極地の旅行家であるといえる(本人がもう探検ではなくて極地旅行だと

言っているからそうだと思う)

 

我々は極地のことなど何もしらないのである

 

知らないことを読むのはそれだけでおもしろい

 

彼の専門は北極に近い土地であり

それはカナダでありアラスカでありグリーンランドである

とくにグリーンランドはシオラパルクを拠点とするようになり

毎年通うようになっている

いっそ本当は妻子ともどもシオラパルクに住みたいというくらいだ

(現実的に無理だと書いているか・・・)

 

つまり狩りの旅行は

というか狩猟民族は

狩り(漁撈)の民族である

 

それは

計画をもって行うものではなく

自分の頭で

その日のその時間にその場所を見て

考える

考えることこそがかれらの誇りである

 

計画をたてそれに従うなどはその都度変わっていく自然環境に対して

不遜である

 

というのがナルホイヤの精神であり倫理である

とのことだ

 

現代日本でそれを行うことは難しいだろうけど

忘れないでいることはできるね

あと自分の頭で考えろというのは常に世界中でそうだろうし

 

しかしそれでも銃は使うしそれの経費はあるし

どうしても現金収入は必要なんだってさ

 

トリの発酵させたやつってうまいのかなー

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