よる2

風呂入ってきた。
 おちついた。
 
 ねむい。
 
 そうなると別に酩酊は欲しくなくなるとわかった。そんなもんだ。
 
さっきのつづき。つまり、アレの人たちがなにをどう考えているかというと、オレのビジョンからはこう見えるのだ   クライアントがいてそこには「解決すべきシステム上の問題」がとりあえず眼前のものとして存在する。問題は喫緊のものであり、そこでは「よりよい」ことはとりあえずほっておいて、「片付く」「安全」が優先される。片付くというのは、たとえるなら、本人の健康や能力の保全よりも、介護者の安心安楽や、親戚の納得やら、形式上の安全〜なんとなくあそこに預けられて過ごしていてくれればこっちは責任問われなくて安全だわ〜みたいなことが優先されるって話だ。
 どう思うかね。
 日本全国でアレの人たちはそういうことを現場でしているのだとも思う。それが「とりあえず喫緊で望まれていること」であり、ニーズにこたえているともいえる。誰のニーズかというと本人ではなく介護者のニーズである。ここが重要。
 いわゆる「本人」「当事者」「老人自身」「病者自身」「アルコール依存症の本人」いろいろならべてしまったが、「そのまわりのほうが大変なんだ」と言っていると本人が望むニーズがどっかにいってしまう 
 のかもしれない。
 でもその本人が望むニーズなんて他人や周囲には伝わらない・伝えられない・そもそも存在しない・のかもしれない。
 
 オレがいつも拘るのはオレは多分に最後の老年まで単身者として暮らして生きていくだろうとつよく意識しているので、オレ本人の意志やニーズは本当に尊重されないと困るのだし、だからこそそれを尊重してくれるシステムが出来ていってくれないと困るのだ。
 なんで日本は「家族の命のゆくえすら医師に委ねてしまう」ようなどうしようもない社会になってしまっているのだろうと嘆いているのである。