たまたま感について考えている。
つまり偶然ということだ。
まあオレが生命として1970に誕生したのもたまたまといえよう。個体αであったのだ。ある夫婦の子として誕生したのだ。ある日本の地方都市浜松市において。
それが。
個々のケースを特別視することはできない。人間というのはこの地球の生物の中で、とくになにか特別視されるほどのものではなく、ひとつの「種」であり、
他のみなさまにとっての何かではない。
オレは何時も思うのだが仏教というやつはたいしたものであって、輪廻という考えを生み出したのだった。それは本当なのか本当ではないのか、輪廻した魂は過去のことをまったく覚えていないので、つまるところ「証明する」方法がまったく存在しないもので、わかるかわかんねえか、それはまったくわかんねえ。
しかしインド人の多くがいまでも輪廻を信じているのだと思う。
たぶん。
そして神の存在を。
神というのは「超越存在」であるから、人間ではないし、人間の意向など意にもかいさず、神が望むことをするだけの存在。割り振り。交通整理。
そもそも神の仕事というのはだいたい交通整理だ。デウス・エクス・マキナ。
あっちに行け、こっちに行け、おまえはここにとどまれ。
結果が出てそれが人間の意にそぐわないものであっても、それは神の決めた結果なのだ。やりなおしたいなら、輪廻した先の次の人生でやったらよろしい。
と言ってのうのうとしているのがインド人である。
まことに精神疾患やら神経症やらが発症するのは余裕があるからだという話である。
なにがいいたいんねん。胡椒卵焼きでもつくるか。