ひる

いろいろいってきた。
休日を利用してライブ見に東京へ。
まず神谷町ロイヤルホストでメンチカツ御膳。でっかいなあ。うまいなあ。
 
なつかしの「機関紙印刷」跡へいく。タワーマンションがたっていた。
 
それから美術展感想。
国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2013/km2013/index.html
クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に
印象派を超えて ― 点描の画家たち」
ゴッホ、スーラからモンドリアンまで
 
まずクレラーミュラー美術館コレクションから、印象派ー分析ー点描ーなんとか。スーラから。モンドリアンまで。こないだの日曜美術館(etv)で見たやつだ。点描というのは発明だったようだ。実際に線で輪郭書いてないし。でも点には面積があってその面積の外縁としての線は結果的に存在している。
 まあそれはいいです。
 ゴッホがあれだけまとまって見れるのは貴重である(最終日ということで大変混んでおった)。
 しかしオレがこころ惹かれたのは後半の、ベルギーとオランダの分割主義のほうだった。
トーロップ、ヘステル、プリッカー。
かなり面白い。点というかなんというか。
個性が強くなってくるので色々になってくる。音声ガイド、坂本真綾さんの声でブレマー「石炭入れのある食器洗い場の眺め」を見る、普通の小品じゃんと思っても近づいてよーく見ると極小の点がわかる。小さいわー。

何を描くか選び、どう描くかえらぶ。
 
 それがどうだったかによって歴史に残るかどうかが変わる。
 
一方で「DOMANI-明日展」16回。去年も見た。
川上りえさんの針金作品が面白くて立ち止まってずっと見てた。
軽く静かだかノイズを含んでいる。
 程よく曲がりながら真っ直ぐだ。
矛盾内包。
 
 新進というか、現代人、アートをやって、なんかいいことあるのか、生きていけるのか。
 いつも現代アートを見るたびにおもうことだ。金になるのか、ということ。
 
 こないだから”先生”の教えのもとに渡辺京二先生の「近代の呪い」を読みはじめた。
 16Cから世界資本主義がはじまった。はじめは環大西洋資本主義世界として。ウォーラスティン。そしてブローデル
 近代、近世、そして現代。
 
 いったい針金を曲げて半田付けしてかためて形にしておおきい3Dキャド(CAD)のごとくの空間を作り上げたとしてそれがいったい食い物にどうやって変わるのかって???