ひる

休日、なにかに耐えかねて車を飛ばしてみて、釜石大観音を見てきた。
 おおきい。 
 
 海がきれいだ。それだけでいいと思う。
 
海岸はきりたった崖であり海岸線にはおりられない。
 
 はやく北山崎のあそこの土砂崩れがなおるといいなあ。
 
 くいものかってかえる。釜石はイオンではあるがあそこも二回目見てきたが大変そうだなあだって空きテナントとか普通にあるしね。それなのに釜石の街中は「客をとられた」的な声もあるし・これがどういうことかというと、懸念としては「共倒れ」である。
 
 最悪の事態。
 
 まあオレべつに釜石市民じゃないからいいんだけど・・・・でもあそこのまちの概要というか、いまだに街の、市街地の、ほとんどのスペースが、かつての鉄鋼のためのスペースで占められていて、しかしそれがもし機能していないのにスペース占有だけしているというならそれは惡でしかないだろう、かつての企業城下町が崩壊してスペースだけが占められたままというのは悲惨としかいいようがない、
 のだ。
 
 転換がすすめられないっていうね。
 
 ちなみに釜石大観音の「門前商店街」みたいなのがあったのだがそこは完全なるシャッター商店街廃墟であってもう近づくのもこわいかんじであった。
 
 そして観音を見にいくオレは他に誰もひとりとして他の観光客とすれちがわなかったのだった。
 
あまりに人がいないのでそれがかえってここちよかった。あおいうみを上から眺めるのは気持ちいい。海はなんとなく生命の永続性を感じさせる。オレのいのちなどははかないしすぐしぬが、ぜんたいとして生命は続くのである。ってなかんじ。
 
 しかし観音のしたのたてものの人たちはそこに静かに存在してかえろうとするオレに「おつかれさまでした」と声をかけるのである。まあいるって知っていたからびっくりはしなかったが、みえないのに人がいるというのは、恐怖を呼び起こす(evoke)に足る出来事である。

寝ます。