あさ

水曜の朝です。若者でも老年でもエロに興奮するこころだけがなにかを活性化。
 
録画動画をみるにも時間が必要で、夜によってても見るとか、朝に早起きしてみるとか、つまり、
仕事以外は家では酒のんで寝るだけですというわけではそうはいかない。
 
一人でやってるとどうしても酒飲んでねるだけです系になっていく。
 
いまオレは絶賛「近過去を振り返って反省とかする」ところにいるのだが、まあひどかったね、2008年からのおよそ6年間。やっぱあの専門学校の教師が心配してくれたのは間違いではなかった。つまり、環境として学ぶことが継続される環境とそうでない環境がある、とくに誰からも何も言われないということは、何もしない人間になっていくということだ、よっぽど自分が自学自習の習慣がついていなければ。
 ついていればなにも言うことは無いけれど。
 
 そして何もしてないと「10年経ちましたが、とくに何かができるわけではありません」と言うしかない人間になってしまうということか。おそろしい。
 
 過不足なくなにかをするということは満遍なく見渡してみて理解しているっていうのがないといかんのだろう。朝からあたまがこんらんする。
 彼彼女の生活を変えるなんてことができるとは思わないがじゃあ何ができるのかって言語化しないといかんのであった。言語化。むつかしい。頭から煙が出る。