よる

なんと
 一日が終わった。 終わるときには終わる。
 
 自立支援とは素晴らしい言葉である、
 がしかし、
 自律も自立もしたくない 人も いていいんじゃないのか。しかれどもその人が助けを対価を得て行われている場合。対価を払うということはサービスであり財貨の動きである。
 
買う、買わない、売る、売らない。

 一方で選択の余地もなくサービスを必要としている人がいてそういう人は買うというよりも「対価があるのは承知でそれを選ぶしかないニアリーイコールそれを背負う」である。
 
 まったくもって世の中は不公平で適当でだらだらしてるが、
 それでも冬の晴れの日には空は明るく(太平洋岸だから)淡い空の色をしているみずいろ。
 
 山の木々は既に葉を落としてひさしく、山ははげている。
 
 はげといえばオレはハゲ(禿頭)なのだが、それでも髪をカットしてととのえたことを気付いてもらえるのはとてもうれしいし笑顔はうれしいし暖かい。
 
 明日明後日の一泊二日の研修会を体調よくととのえてしのぎきれますように。
 
 来週もいろいろヤマがあるんだよなあ。
 
 今日の夜食はどうするかね。・・さっき大福3つ食べたんだがまだ空腹だ。カロリー。
 
 ファミマで「奉仕委員のおしごと」受け取ってきた。さすがに大著であるし、みごたえのある本であり、しかし一方で感覚としては絵が強い人だなあと思う。系統としては鳴子ハナハル先生と共通点があると思う。
 どういう点か。
 絵が美麗というかクリアに鮮明に細かく、構図と構成が緻密にして、つまりが絵にスキがない。隙がない。ないということはどういうことか。 
 絵の密度と巧緻性が高いと絵から受ける情報が大きくなる。
 大きくなるとどうなるか。ストーリーから受ける情報が少なくなる(受け取りにくくなる),
 で。
 ストーリーとしては「すごいことが進んでいるが流れてあっという間にそれ終わってしまう」のである。
 
一方で。
 オレが思う対極がどこにあるかというと、今は一般誌に行ってしまった関谷あさみ先生であるが。
 絵は「かわいい」「シンプル」な線。
 構図等、凝ってない、わかりやすい。
 絵から受ける情報量が少ない。
 その一方で主人公の心情や気持ちやゆれうごき、またはヒロインの心情、こころのゆれうごき、せつない気持ち、愛があるのに突き抜けて行かない感じ、あるいは愛があってそれをどこに持っていったらいいかわからない感じ、または。
 そういったストーリーとキャラクターとにどんどん感情移入していく感じ(どんなおっさんでも、それを読めば少女の気持ちと性愛を受け入れたくなる新しく開かれる感じ)がひろがり続ける世界である。
 
 つまりこれがある軸のあっちとこっち。
 
 まあエロマンガの世界は広いのでなんでもありなんですけどいつも多分読者はあっちとこっちに引き裂かれているのだと思うよ。 
 
 と、ひさしぶりにエロマンガについて考えたが、こういう
「考えること:」を惹起するようなさせるような作品が名作なのであって、「奉仕委員のおしごと」が名作であることは言うまでもない。日本のエロマンガの現在。