土曜あさ(仕事へ)
昨日録画した検索ちゃんネタ祭りをちょっとだけ見るが小池栄子の胸は健在だった。
へえ。
さむいなあ。エアコンはがんばっているが寒いことにはかわりなく。
よくわからんがもうちょっとだ。年末をオレが好きなのは、オレが年末を好きなのはこれでおわり感があるからなんですがそのあと来年も生きていればつづくのだった。つづくのかあ。である。
つづくんだねえ。栄光とかとかけはなれた地味なところであるし、持ちこたえるには妄想も必要だが本来は核が必要なんだろう。本来は。いきていることの核になる部分は他人からの承認ではあると思うのだがそれはもはや間接的なものになっている。たとえば仕事しててやめさせられない(首にならない)とかね。なんとか続けられるとか。そういうことがたぶん社会的に承認を享けていることの間接的な裏付けであると思うのだがこれの問題点は「仕事をやめたら人間ではなくなった」である。
そうではないので、問題はオレがオレをちゃんとなってるということを認めてやってそれでまあオレはオレなりでなんとかやってるというセルフ承認ではなかろうか。
他人からのそれを求めているとあまりにつらくなるので。(来ないから)
まあまあなんとかなっているくらいでいいので。そんなにすぐちゃんとできない。
曖昧な書きかたではあるがつまりあれだ愛は求められんのだ。求めるとかできんのだった。あらららん。それが現実だわ。