ゆう

むりやりにでも外に出る話。宮古市内で京大式カード(B6)を探すもみつからず。しょうがないので昼から釜石にいく。釜石イオンにもなかった’(さわの書店)が、サブウェイでローストビーフサンドイッチとポテトを食うことができた。ラジオもきいた。B6のかわりに大槌のマストの100均でミニスケッチブックを三冊買った。 
 ラジオは主に不毛な議論とメガネびいきをきいた。どちらもほどほどにばかばかしくよいところであります。あああと東京ポッドもきいたね。死について考える回だった。死は回避できない。死ぬかもと思って鬱になる人はいない。他の理由で死にそうになり、そのことで鬱になるのだ。そして鬱になると死にたくなる。死にそうになったために死にたくなる。そもそもは怪我病気肉親の死人間関係のこじれ認知のゆがみその他の問題。
 
 今年のミニトマトを今日開始した。今年はどうなることか。けっこう去年の見てると見てみたら細かい根がちいさい器いっぱいにはりめぐらされるのな。
 
もはや受け入れるしかないのか。なんかを。
ラジオで「相談は踊る」をきく。みな、南部さんが好きなんだなあ。オレも最初はSS22にどうして南部さんがオーディションで選ばれたのかな?と思っていた(夜に外山さんの声がきけなくなるのがイヤだった)が。その後の番組(主としてミッドナイト)をきいていると正解だったのねとわかってくる。南部さんのつくる空気である。チキはそつない男であってそつなさすぎなのである。
 
多くの人がそう思うだろうことだが、歴史というのは0.0001%くらいの偉人の歴史’(勝者の歴史)であって、大多数どころかマスの人口はただ生まれてきてなんかして死んでいくだけである。と東京ポッドで言っていた。その通りだ。そしてそれは現代でも同じであり多くの大多数が誰のこころに残るでなく死んでいくのである消えていくといってもいい。
 
何を受け入れるのかというと「逃げてくのをやめる」こととしか言えないか、まだ保留、
やりたいことは何かときかれたら自分を表現する文章ということと言ってしまうのでいまやっている仕事とは全然べつじゃんと言われたら申しわけございませんとしか言えない。しかし今やっている仕事というのもなんだろう誰の役にもたっていないのならば即ストップの巻なんだが
 そうもいかない。
 
 ので・
 
 所詮中年老年であってこの先になにもなく、再就職なんてそんなに簡単にいかないし、オレとしては乞喰であってまったく構わないと思っているが、最後の親孝行というかあんまり「初老の息子がバイトかよ・・・」とか思わせたくないというのもある。
 動機として。
 
 逃げてくのはやめて、行けるところまでここで食い留まるしがみつく根をはる(ミニトマトであってもその根のこまかさ満遍なさは特筆すべき)つもりでいくのか、
 
 おっさんであり要注意でありあやしい人と思われ・
 
 えっそうなのここに根を張りたいの?